大河ドラマ探訪63 石田三成の実像677 「江」第28回「秀忠に嫁げ」1 秀次切腹事件の描き方1  

  大河ドラマ「江」第28回「秀忠に嫁げ」で秀次切腹事件が描かれていましたが、案の上、三成が策謀を巡らせたという捉え方でした。ドラマでは公家や僧侶に気になる動きがあること、秀次が拾誕生後、関白の座を脅かされるのではないか恐れていること、秀次は朝廷や都の寺社に並々ならぬ人気があると漏れ聞こえていることなどを三成が秀吉に報告します。それを受けて、秀吉が後のことは三成に任せた、関白となった拾の姿を見たい、淀殿と秀頼のことを任せられるのは三成しかいないと頼み、三成がそれに応じて動くという形になっていました。
 三成が聚楽第の秀次のもとに乗り込み、秀次が謀反を企てている疑いがあることを告げ、秀吉に誓詞を書けと言います。これは江戸時代に書かれた太田牛一の「太閤さま軍記のうち」によれば7月3日のことであり、詰問使には他に前田玄以・長束正家・富田知信が加わっていましたし、同じく江戸時代に書かれた小瀬甫庵の「甫庵太閤記」では、この4人に宮部継潤が加わっています。家康の家臣の松平家忠が記した「家忠日記追加」に、秀吉が増田・石田・富田たちを聚楽第に赴かせたと書かれています。三成が秀次事件を策謀したとする見方は江戸時代に作られたものであり、これらの書物もその影響を受けたものだと考えられますが、詰問使に三成も加わっていたことまでは否定できないかもしれません。
 ドラマは次に8日とおぼしき日(秀次切腹の7日前という設定になっています)に江が秀次のところにやって来ると、秀次は伏見に移った後であり、そこに三成がいるという展開になっていましたが、むろん、江が三成を問い詰めるというのは創作です(あらゆることに主人公を絡ませずにはおられない描き方がここでもされています)し、江が勝手に中に入って来られたことも考えにくい話です。
 江は秀次の嫌疑の内容を、言い渋っていた三成から訊き出しますが、秀次が秀吉に反目する一派と武具を整え、鷹狩りに名を借りて山中で談合を繰り返していたこと(これは「太閤さま軍記のうち」に書かれています)、毛利輝元と盟約を結んでいること(三成が証拠書類を秀吉に提出したと小瀬甫庵の「甫庵太閤記」に書かれていますが、毛利輝元がこれによって処罰されているわけではないので、事実ではないのでしょう)、殺生禁断の地の比叡山で狩りをしていたこと(これも「太閤さま軍記のうち」に書かれています)などが挙げられていました。
 江は三成が作り話で相手を追い込んで秀吉に取り入るやり方を千利休の時と同じだと批判していましたが、ドラマのようなことを三成が策謀したとするなら、そう非難されても仕方ありません。しかし、これらは徳川時代に作り上げられてきた三成奸臣説に基づいたものです。
 ドラマでは三成は秀次が高野山追放に決まったと江に告げ、切腹が言い渡されるはずだと江に言っていましたが、切腹が既に決まったことのような言い方でした。しかし、実際は事実では高野山に追放された秀次に、切腹を言い渡したのは7月15日であり、その使者は福島正則たちでした。8日の時点で切腹まで三成が見越していたというのは、いかにもそれを仕組んだのは三成だと言わんばかりの描き方でした。
 

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