日本文学探訪92 中島敦「山月記」4 カフカの「変身」と比較

 私はこの小説と、カフカの「変身」とを少し対比させて、述べました。「変身」の方は、普通のサラリーマンであるザムザが、ある朝、何の理由もなく、ベッドの中で大きな毒虫になっているのに気づきますが、「山月記」の方は、自分の中に悪いところがあり、虎になったのも仕方がないと思っていますから、大きな違いです。
 李徴はしゃべれますが、「変身」の主人公は話そうとしても話せないので、当然、意思の疎通もできません。家族たちに嫌がられ、結局、妹に投げつけられたりんごの傷がもとで死んでしまいます。ザムザになんの悪いところもないのに、毒虫に変身させられ、最後は殺されてしまうのですから、こんな理不尽なことはありません。
 カフカの「審判」という小説にしても、主人公は突然逮捕され、自分が何の罪で裁かれているのか分からないまま裁判が進み、あげくの果ては処刑されてしまいます。このように、カフカ文学の方が余計に不条理性が出ていると言えるでしょう。
 詩人になりそこなって虎になった者の哀しい運命が、「山月記」には描かれており、そういう定められた運命を生きていかなければならない者の悲劇が主題と言えます。中島敦自身が、喘息の持病に苦しめられ、何人もの家族を失うという不幸な体験をしており、彼自身、34才の若さでなくなっています。そういう彼自身の孤独さや孤高さが、色濃く反映した小説と言えます。
 この小説は、唐代に書かれた伝奇「人虎伝」から素材を取っていますが、近代の知識人の自意識の問題に見事に転換させています。発表されたのは昭和17年ですから、太平洋戦争中のことです。
 中島敦が題材を中国古典に求めたものでは、「李陵」という有名な作品があります(「名人伝」も私の好きな作品の一つですが)が、臼井吉見氏は「深い森かなんぞの高い梢の上にからまった、人の知らないところで、小さいが純粋鮮烈な美しい色をのぞかせているこの二輪の花みたいな『李陵』と『山月記』を書き残しただけでも、中島敦は文学を愛する少数の人の心の中に生き続けるに違いない」と評されましたが(集英社版日本文学全集「名作集」3 平野謙氏解説に記載があります)、少なくとも「山月記」は高校の現代文の教材の定番であり、この作品を学ぶ高校生は今でも多く、若者になにがしかの影響を与えていると云えます。
 漢語の多用に辟易する高校生が多いと思いきや、最初は抵抗があるものの、その関門を乗り越えて、この小説の世界に引き込まれる者が少なからずいましたし、今もそうではないでしょうか。教材を扱った際、生徒に感想文を書いてもらいましたが、どういう傾向や特徴があったか、改めて取り上げたいと思います。

 

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