日本文学探訪95 石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて」「人がみな同じ方角に向いてゆく」
石川啄木の短歌「不来方のお城の草に寝ころびて空に吸はれし十五の心」を授業で取り上げたことがあります(今まで啄木の短歌は何度か扱いました)。これは三行書きの短歌で、土岐善麿が始めて啄木が受け継いだ独特のスタイルです。
歌の意味は、「盛岡城の草の上に寝転んで大空に夢を描いていた十五才の頃の私の心よ」ということですが、現在進行形の歌ではなく、彼が大人になって、青年時代を懐かしく思い出して詠んだものです。もっとも、大人とは言え、啄木はわずか二十六才でなくなっていますから、それほど遠い昔のことではありません。
彼が亡くなったのは、当時死因のトップだった病気だったが、何の病気かと生徒に尋ねてみたところ、どのクラスにも「結核」という答えが返してくれる子がいて、そういう知識を持っていることはよいことだと思いました。結核が恐ろしい伝染病であったこと、彼の妻も親もその病気で亡くなったことを言い、現在でも結核が根絶されたわけではなく罹る人がおりなかなか治りにくい場合もあるので気をつけなければいけないことも話しました。
石川啄木が中学に入った時は成績がトップだったにもかかわらず、節子という女性と知り合い、恋に走り、また文学にのめり込むことによって、学業がおろそかになり、成績ががた落ちになったことも言いました。城の草の上に寝転んでいるのも、実は授業を抜け出してのことだと、歌の背景を説明しました。とうとう彼はテストでカンニングをし、学校の処分を受け、中退を余儀なくされことにも触れました。
大人になってからの啄木の悪い面も紹介しました。友達から金を借りまくり、少しも返さないため、友達が一人二人と離れていったこと、その中にあっても、金田一京助は彼を見放さず、金を貸しつづけたこと。生徒の中に、金田一京助が国語辞典を編纂していることを知っている者がいて、さすがだと感心しました。もっとも、実際は金田一京助は名前を貸しただけで、実際に国語辞典を編纂していたわけではありませんが。アイヌ語の研究者として有名な学者です。
私が啄木の短歌で一番気に入っているのは、「人がみな 同じ方角に向いてゆく それを横より見てゐる心」です。生徒にも紹介したことがありますが、この短歌はさすがに今まで教科書に載っているのを見たことはありません(私がたまたま知らないだけかもしれませんが)。かつて若い頃、友達と同人誌を出していた時、見開きのページにこの短歌を載せたことがあります。私が編集していたので、自分の一存で掲載したのですが、この啄木の気持ちがよくわかりましたし、このスタンスは今でも変わらないと思っています。ちなみに、この時の同人誌は44ページあり、私が一人で鉄筆でガリを切り、友達と二人で謄写版印刷をしました。われながらよくここまでやったものだと今更ながら感じます。
歌の意味は、「盛岡城の草の上に寝転んで大空に夢を描いていた十五才の頃の私の心よ」ということですが、現在進行形の歌ではなく、彼が大人になって、青年時代を懐かしく思い出して詠んだものです。もっとも、大人とは言え、啄木はわずか二十六才でなくなっていますから、それほど遠い昔のことではありません。
彼が亡くなったのは、当時死因のトップだった病気だったが、何の病気かと生徒に尋ねてみたところ、どのクラスにも「結核」という答えが返してくれる子がいて、そういう知識を持っていることはよいことだと思いました。結核が恐ろしい伝染病であったこと、彼の妻も親もその病気で亡くなったことを言い、現在でも結核が根絶されたわけではなく罹る人がおりなかなか治りにくい場合もあるので気をつけなければいけないことも話しました。
石川啄木が中学に入った時は成績がトップだったにもかかわらず、節子という女性と知り合い、恋に走り、また文学にのめり込むことによって、学業がおろそかになり、成績ががた落ちになったことも言いました。城の草の上に寝転んでいるのも、実は授業を抜け出してのことだと、歌の背景を説明しました。とうとう彼はテストでカンニングをし、学校の処分を受け、中退を余儀なくされことにも触れました。
大人になってからの啄木の悪い面も紹介しました。友達から金を借りまくり、少しも返さないため、友達が一人二人と離れていったこと、その中にあっても、金田一京助は彼を見放さず、金を貸しつづけたこと。生徒の中に、金田一京助が国語辞典を編纂していることを知っている者がいて、さすがだと感心しました。もっとも、実際は金田一京助は名前を貸しただけで、実際に国語辞典を編纂していたわけではありませんが。アイヌ語の研究者として有名な学者です。
私が啄木の短歌で一番気に入っているのは、「人がみな 同じ方角に向いてゆく それを横より見てゐる心」です。生徒にも紹介したことがありますが、この短歌はさすがに今まで教科書に載っているのを見たことはありません(私がたまたま知らないだけかもしれませんが)。かつて若い頃、友達と同人誌を出していた時、見開きのページにこの短歌を載せたことがあります。私が編集していたので、自分の一存で掲載したのですが、この啄木の気持ちがよくわかりましたし、このスタンスは今でも変わらないと思っています。ちなみに、この時の同人誌は44ページあり、私が一人で鉄筆でガリを切り、友達と二人で謄写版印刷をしました。われながらよくここまでやったものだと今更ながら感じます。
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