日本文学探訪98  尾崎放哉の自由律俳句の「入れ物がない両手で受ける」 すべてに感謝する気持ちになる

 尾崎放哉の自由律俳句の「入れ物がない両手で受ける」も好きな作品の一つです。托鉢生活に入った作者でしたが、鉢も用意しておらず、施しを受ける容器がないため、両手で受けてもらったというような句意です。もらったものが何かは書いていませんが、普通考えると食べ物ではないかと思われますし、伊沢元美氏の「俳句シリーズ 人と作品 尾崎放哉」でもそう推定されています。
 伊沢氏によれば、両手で受けるとあるから、その受けるものがたくさんあることがわかり、両手で受ける時放哉の心は感謝の気持ちで一杯だと云います。さらに、かつての放哉は人を罵り、自分を罵り、自嘲することが多かったのに対して、小豆島の南郷庵に来てからは、だんだんと人間に丸みがでてきて、人の好意を素直に受け、すべてに感謝する気持ちになっていったと書かれています。
 自嘲ということで云えば、中島敦の小説「山月記」の主人公の李徴を彷彿とさせます。李徴は虎に変身してからも、その自嘲癖は治らなかったとありました。
 伊沢氏は放哉が道を行ずる人ではなかったと述べ、この句を宗教的に解することには賛成せず、放哉の極めて率直な人間味の発露として味わえばよく、放哉が子供のような気持ちになって両手でものを受けている姿は微笑ましいくらいだという感想も記されています。
 もっとも、こういう感謝の気持ちやありがたみは、そういう無一物の立場に立った者でないと、本当にはわからないかもしれません。
 この句は「尾崎放哉集 大空」を編んだ荻原井泉水が前書きで最初に取り上げられて解説が加えられています。受けるものが多すぎて両手からこぼれ落ちそうな感じがするのは、自分たちの生活の中からも顔を出すことがあるものの、放哉の生活を知っている自分には、彼がものを蓄えるべき器すらも持たぬ無一物の生活をしていて、それゆえに限りなく恵まれている気持ち、全心の感謝をもって受け取る気持ちが嬉しいのだと書かれています。
 ものをもらって感謝するという気持ちは日本では普通ですが、タイでは逆に僧侶に施しをしている庶民の方が感謝の気持ちになると云います。施しをすることが功徳になるという気持ちからですが、そう思うことができれば、幸せでしょう。もっとも、日本でも、勤行に家々を回っていたお坊さんたちに、人々がお布施をすると光景をかつてはよく見かけましたが(私の親も必ずお布施をしていました)、そういう気持ちがあったとも云えるかもしれません。
 

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