大河ドラマ探訪178「八重の桜」33 第16回「遠ざかる背中」 長州との講和をめぐって

 大河ドラマ「八重の桜」の視聴率がもう一つ芳しくないようですが、幕末史の大きな流れの中で、主人公の八重の姿がどうしても、従になってしまっているということも影響しているのではないかという気がします。会津戦争で八重が活躍する場面になれば、盛り上がると思いますが。
 第16回「遠ざかる背中」の中で、慶喜が勝海舟を長州との講和の使者に立てようとしたところ、海舟から諸侯会議を開くという条件を出され、慶喜はそれを一旦承諾するものの、その約束を反故にするところが描かれていました。
 このあたりについて、野口武彦氏の「長州戦争」(中公新書)の中で詳しく記されています。すなわち、「慶喜はいつも《苦しいときの勝頼み》であった。講和の使者に勝海舟を引っ張り出した。」「ところが、密使に立った海舟が宮島で苦労して和談をまとめている間に、慶喜はまたくるりと態度を変えてしまった。」「止戦に持ち込めてほっとした慶喜は、またたちまち態度が大きくなり、海舟が長州側を譲歩させる条件だった諸侯会議のことをまったく無視した。」「8月21日、慶喜が孝明天皇から引き出した休戦の勅命は」「長州藩を《侵略者》として一方的に占領地からの撤兵を要求する趣旨にすり替えられていた」と。
 この勅命について、大河ドラマでは、「将軍の喪に服するため、長州に兵を引くように命じる一方的なものであった」という語りが入っていました。
 野口氏の「長州戦争」では、「海舟は長州藩にウソを吐いてきた恰好になってしまったわけであ」り、「立場がなかった」と記されています。大河ドラマでは、海舟が「してやられた。あの二枚舌め」と、慶喜批判の言葉をつぶやく場面がありました。 
 佐々木克氏の「日本史リブレット人 大久保利通」(山川出版社)には、「慶喜はみずから出馬すると戦争続行を強く主張して、天皇の了解までえながら、8月13日に戦争はもうできないと朝廷に申し出る。ころりと変わる慶喜に対する怒りを滲ませながら、朝廷は21日に休戦を命じた」と記されており、朝廷も怒りを覚えていたことが指摘されています。
 大河ドラマでは描かれていませんでしたが、佐々木氏の「大久保利通」の中で、「松平春嶽は慶喜に、この際将軍職への就任を辞退すべきだ(そして徳川宗家は御三家と同格の大名となる。したがって幕府も廃止し、大政を朝廷に返上する)と提言し」たと記されています。
 大河ドラマでは、勝に和議の使者の要請をする場に同席していた春嶽が慶喜に向かって、「今度の負け戦を見ても、幕府だけで天下を治め切れぬことは明らか。これからは諸藩と合議の上でまつりごとを改めていくべきと存ずる」と言っていました。さらに大河ドラマでは、諸侯会議の約束を違えた慶喜に対して、春嶽は怒り、「御宗家とはこれ限り。さらばでござる」と言い捨てる場面が用意されていました。
  
 
 

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