石田三成の実像1021 甲賀流忍術屋敷の落とし穴・「忍びの者」による諜報活動を示す三成の書状 

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 写真は甲賀流忍術屋敷にある落とし穴を4月23日に撮ったものです(屋敷内は写真撮影OKでした)。かなり深い穴であり、水がたまっています。今は安全上、上の板が一部残っていますが、江戸時代はこの板全部が外れるようになっていたという説明がありました。
 写真に向かって右側にどんでん返しになっている板壁があり、忍者は敵の侵入を受けると、この壁から抜け出し、この落とし穴の上の板を外して、敵が壁を抜けてきた時に、この穴に落とすという方法でした。敵がすぐにどんでん返しの壁を抜けることができないように、壁は一方向からしか開けられず、敵が少しもたもたしている間、その落とし穴の板を外して、追ってきた敵をその穴に落としてしまい、捕まえるというわけです。この落とし穴には側溝があのものの、敵はそのことに気づく余裕はないという趣旨の説明もありました。
 「歴史魂 Vol.11」(アスキー・メディアワークス)で忍者の特集がされていますが、その中に「忍者屋敷 徹底解剖」として、忍者屋敷のからくりがイラスト入りで説明されており、落とし穴も載っています。「戸を開けた先に設置した。隠し階段の下にも設置したとされる」と記されていますが、落とし穴もさまざまなパターンがあったのでしょうか。
 「歴史魂」には、忍者が「情報を収集する諜報活動」をはじめとする、果たしたいろいろな任務・仕事の内容、「忍びを駆使した」真田一族のこと、真田十勇士のこと、「戦国忍者列伝」、忍者の歴史、江戸時代を生きた忍者たちなど、多種多様なことが記されています。
 「歴史魂」には載っていませんが、賤ヶ岳の戦いの直前、「忍びの者」による諜報活動があったことを示す三成の書状があります。天正11年(1583)3月13日付の称名寺宛のものであり、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)には、この書状の釈文及び現代語訳が掲載されており、その書状について詳しく述べられています。「書状は、称名寺の手の者が諜報でよい働きをしたことへの礼状にあたる」こと、賤ヶ岳の戦いの直前、「三成はその地縁をフルに生かして、地元の集落・寺院に働きかけ諜報活動にあたっていたのであろう」こと、「三成の働きは、やはり諜報戦の中にあ」り、「三成が賤ヶ岳で恩師・秀吉から学んだことは、戦場での鑓働きよりも、もっと広い戦略を見据える目であったろう」ことなど。
 太田浩司氏の「近江が生んだ知将 石田三成」(サンライズ出版)には、「柳ケ瀬に配置した者は、もちろん『忍びの者』であろう」こと、「敵情を偵察する役目を負ったと見られるが、称名寺はその『忍びの者』を管理・監督する立場にあったと考えられる」こと、賤ヶ岳の戦いで「柴田軍全体を敗軍に追いやった背景には」、「三成や称名寺の指示による、『忍びの者』の諜報活動があったと推察できる」ことなどが記されています。
 

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