石田三成の実像1022 「三成に尽くす!精鋭石田家臣団」3 林半介・「関ヶ原サイクリングMAP」

 「歴史街道 5月号」のコラム「三成に尽くす!精鋭石田家臣団」の中で、林半介のことも取り上げられ、「生え抜きの家臣の中で特筆すべきは農民出身の林半介である」と記されています。半介について、安藤英男氏編「石田三成のすべて」(新人物往来社)の「石田三成家臣団」の中に、「美濃安八郡青柳村の人。百姓であったが、三成に仕えて禄七百石、使番に抜擢された」と書かれています。
 またコラム「三成に尽くす!精鋭石田家臣団」では、三成が佐和山出陣の前に饗礼をおこなった際の三成の言葉、それに対して半介が末席により進み出て功名を誓って言った言葉も記されています。コラムでは触れられていませんが、「石田三成のすべて」には、杭瀬川合戦での半介が一番首をとった働き、殿軍(しんがり)した際の勇戦に対して家康が感嘆して発した言葉も載っています。
 コラムでは「石田家臣団は関ヶ原本戦で『鬼神』と化し、東軍に立ち向かっていく」と記されていますが、彼らの奮戦ぶりは「歴史街道」の工藤章興氏の「慶長5年9月15日、漢たち、かく戦えり」の中で、「石田隊の驚異の粘り」と題して、詳しく描かれています。
 「歴史街道」には、「関ヶ原サイクリングMAP」も載っていますが、そのうちで宇喜多秀家陣跡碑から大谷吉継の陣跡と墓まで行くルートとして、藤古川ダムを通る道は「自転車通行不可能」と記されています。そこは通らず、宇喜多秀家陣跡を見た後、道を引き返して東へ行き、突き当たった道を南下して、JR東海道本線を渡り、松尾の信号のところから西に進んで、藤下の信号をところで北上し、JR東海道本線を再び渡って平塚為広碑のところを通っていくというルートが示されています。
 オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)の「美濃・関ヶ原」の章に「史跡巡りのモデルコース」を載せましたが、宇喜多秀家陣跡から藤古川ダムを越えて、大谷吉継の陣跡と墓に行くルートを示しました。ただし、藤古川ダムについては「上り下りの階段あり、自転車を運ぶのが大変」と但し書きを付けています。
 私はレンタサイクルで二度、ここを通りました。一度は一人で、もう一度は二人でしたが、二人の時は自転車の前と後ろを持ち上げ、階段を下って上りました。一人の時は自分だけで自転車を持ち上げねばなりませんから、本当に苦労しました。難所はダムだけではなく、その後も坂を少し上らねばならず、そこも一人では大変でしたが、できないことはありません。もっとも、そのコースは、サイクリングよりハイキングにふさわしいコースであり、実際、西軍の陣跡を中心に自分の足でずっと歩いたこともあります。
 ここ何年か関ヶ原に足を運んでいませんので、近々足を運びたいと思っています。昨年11月、大垣に泊まった際、レンタサイクルで関ヶ原の陣跡を訪ねるつもりでしたが、体調を崩して、大垣に泊まっただけで、そのまま帰ってきました。
 
 

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