石田三成の実像1178 池宮彰一郎氏「島津奔る」2 本当は民への配慮も 太田氏・外川氏・中井氏の文 

 
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 写真は紅葉の龍潭寺の門前を11月23日に撮ったものです。たまたま「彦根ご城下巡回バス」が走っていました。この日行われた、琵琶湖一週のろし駅伝はこの龍潭寺口から佐和山に登りました。
 さて、池宮彰一郎氏の小説「島津奔る」(新潮文庫)の中で、官僚主義者としての三成のマイナス面も描かれています。三成ら吏僚「から見れば民間の者は無機物に等しく、おのれらが世を統べるのは至高の行為と、骨の髄までそう思っている。官と民とは生物的に異なると思い、民の求めで官の仕事が曲げられることは、神にもとる行為としか考えない」などと記されています。
 しかし、三成が文禄5年(1596)3月1日、領内に発した「掟書」を見れば、「民間の者は無機物に等し」いものだと三成が考えていたわけではないことがわかります。太田浩司氏の「近江が生んだ知将 石田三成」(サンライズ出版)の中で、九ヶ条掟書の「第六条では三成への直訴を許し、百姓保護の姿勢を明確にしている。これら第一・四・六条では、百姓の耕作者としての権利を認め、彼らを年貢負担者として確定し、確実に年貢を収取するシステムを構築しようとする意図が読み取れる」と記されています。また太田氏の同書には、「三成は戦国時代に混乱状態にあった租税体系を刷新し、『民』が取る分と『公』が取る分を明確に分け、後者の収納に客観的なルールを与えた」とも述べられています。
 これと同様のことが、「歴史人 12月号 敗者の戦国史」(KKベストセラーズ)の外川淳氏の「石田三成からみた関ヶ原合戦の真実」の中に記されています。すなわち、「三成の善政をものがたる掟書」の説明文に「注目すべき点は、民と官の取り分を厳密な基準でルール化し、また農民を保護する訴訟制度も明記されていること」と。このあたりは太田氏の同書を参考にしたものではないでしょうか。
 外川氏の上述の書の本文では、「三成が定めた十三ヶ条村掟の中でもっとも前衛的な条項は、9条と11条であり、農民が目安(訴状)を差し出す訴訟権を認めた」と記されています。掟書には三成の「蔵入地向けの十三ヶ条と給人(三成の家臣)の所領向けの九ヶ条のものがある」ということも「三成の善政をものがたる掟書」の説明文の中で述べられています。
 拙ブログ記事で前述したように、中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の「第6章【治世】公正性を求めてー領民宛掟書」の中で、掟書について詳しく述べられています。その中で「細かな厳しい基準を作ることは、領民にとっては良いことばかりではないだろう。掟書を読んでも、三成は決して甘いだけの領主でないことが分かる。ただ一方で三成の原理原則を貫く姿勢が、領民に信頼感を与えたことも間違いない」と指摘されています。
 
 

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