追悼・やしきたかじんさん 豪快で大胆な発言には繊細さの裏打ちが・本当は気弱で他人のことをよく気遣う

 大阪に活動の拠点を置き、大阪をこよなく愛した、やしきたかじんさんが逝去されました。心からご冥福をお祈り致します。
 昨年3月、やしきたかじんさんがテレビの番組に復帰した時、完全に復調したという感じではなかったので、心配していましたが、5月に再び療養生活に入りました。昨年末に、たかじんさんの3度目の結婚の報道があった時、テレビ復帰も近いのではないかと思ってそれを楽しみにしていましたが、突然の訃報に衝撃を受けました。
 昨日、いろいろなテレビやラジオの番組で、やしきたかじんさんを偲んでいましたが、読売テレビの「ミヤネ屋」では1時間半程かけて、関わりの深かった人々の追悼の言葉や、彼の生きた軌跡をたどっていました。25年間以上の付き合いがあった宮根誠司さんが司会を務めていましたが、何の言葉も残さずに逝ってしまった無念さ、悔しさがよく伝わってきました。
 宮根さんがフリーアナウンサーに転身した時、たかじんさんが朝日放送社長に直談判して後押しをしてくれたこと。たかじんさんの番組に橋下徹さんと共に出演した後、二人は番組を終わった後、たかじんの楽屋に呼ばれ、酒を飲みながら、深夜までたかじんさんに「こう、しゃべれ」などと意見してくれたこと。さまざまな番組を見て、驚くほど熱心に研究していたこと。また、たかじんさんのハチャメチャぶりも紹介され、いろいろな思い出が語られていました。涙は出ないと言っていた宮根さんですが、たかじんさんの曲が流れた時は感極まって涙を流していました。
 辛坊治郎さんが、たかじんさんについて「すごく優しくて繊細。もちろん、豪快なところもあるし、一般に見えている豪快で大胆な発言というのは、繊細の裏打ちがないとできないのね。関西にとって大阪にとって宝物のような人でしたからね」などと言っているのも、同番組で紹介されていました。
 トミーズ雅さんは、「そんだけ悪かったら会いに行ったほうがよかったんかなと、それが一番悔いが残りますね。大阪の宝がなくなりました」と言っていましたが、「会いに行ったほうがよかったんかな」という思いは、生前たかじんさんのお世話になった人々に共通するものではないかと宮根さんも語っていました。
 たかじんさんが本当は繊細で、気弱であったということについては、毎日放送ラジオの番組「こんちわ コンちゃん お昼ですょ!」で、コンちゃん(近藤光史さん)と太平サブローさんも触れていました。コンちゃんは元毎日放送のアナウンサーであり、たかじんさんより2歳年上ですが、たかじんさんが最初、毎日放送ラジオのヤンタン(ヤングタウンという番組)の仲間うちであり、毎日放送のお抱えタレントみたいなものであったということについては、私自身、知りませんでした。
 たかじんさんが何年も毎日放送でしゃべって来て、他局からレギュラーでメインで番組をしないかという話が持ち込まれた時、コンちゃんに「自分で判断するのが怖いねん。俺みたいに毎日放送しか出ていない人間が他局でできるかな」と相談してきたことをコンちゃんは明かしていました。コンちゃんは「何言ってんねん。今まで何年しゃべってきたんや」と言って励ましたそうです。コンちゃんは、たかじんさんが本当は「びびり」であり、新しく何かを始める時は必ず人に相談すること、一人の時はおとなしく、自分(コンちゃん)にも敬語で挨拶すること、他人のことをよく気遣う人物であったと述べていました。
 

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