京都探訪159 日本文学探訪111 漱石の句碑・朝日新聞「漱石 川を隔てて一句」・「こころ」再連載 

 
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 写真は御池大橋の西側に建つ夏目漱石の句碑を5月30日に撮ったものです。拙ブログ昨日付の記事で述べたように、一昨日にこの句碑を見た後、山科へ出て、琵琶湖疏水沿いから毘沙門堂あたりを散策しました。
 漱石の句碑の存在については、朝日新聞5月20日付「京ものがたり 漱石 川を隔てて一句」という記事で知りました。この石碑には「木屋町に宿をとりて、川向(むかい)の御多佳さんに 春の川を隔てて男女哉 漱石」と記されています。
 この俳句が作られた時の状況について、この記事で詳しく述べられています。すなわち、1915年3月、漱石が京都に滞在していた時、祇園の茶屋の女将の磯田多佳と「意気投合」し、「漱石は23日、多佳に『天神様(北野天満宮)に梅をみに連れていってくれ』と依頼」するものの、多佳は24日に別人と宇治に遊びに行ったため、「漱石は裏切られた思いで腹をたてて京都市内を歩き回った。宿に戻り、詠んだ句が『春の川ー』だ」などと。
 この件に関して、「祇園の女 文芸芸妓磯田多佳」の著書がある杉田博明さんの推察もその記事には載っています。すなわち、「京都で天神さんといえば25日の縁日のこと。多佳は25日と考えたのでは」と。
 水川隆夫さんは「『漱石の京都』で『犯人は京ことば』」と指摘し、「同じ『おおきに』でも、ニュアンスの違いで辞意にも歓迎にも意味が変わる京ことばの特質が、漱石を勘違いさせたと考える。『多佳には、約束した意識はなかったと思いますね』」と述べています。
 確かに、何らかの「行き違い」が二人の間にあったと思われます。
 この件があったのは時期的に云えば、「漱石は『こころ』の後の随筆連載『硝子戸の中』を書き終えた直後
」でした。今、朝日新聞朝刊に漱石の「こころ」が再連載されています。「こころ」が朝日新聞に連載されて丁度100年になるのを記念してのことですが、毎日それを読むのを楽しみにしています。むろん、私が持っている集英社版日本文学全集の「夏目漱石集」に「こころ」は入っていますし、角川書店版「夏目漱石全集」にも収録されています。漱石関係の専門書も何冊も持っています。しかし、今回の「こころ」の再連載で、いろいろと新しい発見があり、それが漱石ファンにはこたえられません。
 タイトルカットや日付は連載当時のものが再現されており、第1回が掲載されたのは大正3年4月20日であり(再掲連載が開始されたのも4月20日です)、「大阪朝日新聞」の文字も入っています。またタイトルは「こころ」ではなく、漢字の「心」になっており、今は「先生と私」「両親と私」「先生の遺書」の三部構成ですが、連載された時には最初から「先生の遺書」で統一されています。
 

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