大河ドラマ探訪255「軍師官兵衛」56 石田三成の実像1280 山本博文氏の「バテレン追放令」2
「軍師官兵衛」では秀吉とコエリュの対談があり、その中でバテレンの持つ大砲を積んだ船の話が出、その船を秀吉に献上するのをバテレンが拒んだため、その後、バテレン追放令が出されるという流れになっていました。
この間の経緯について、山本博文氏の「天下人の一級史料」(柏書房)の「バテレン追放令」の中で、バテレン追放令が出される前夜に起こったことが紹介されていますが、大河ドラマで描かれていたこととは内容が違っています。その典拠はルイス・フロイスが記した天正16年2月20日付のイエズス会総長宛て書簡であり、そこに書かれているのは次のようなことです。
「秀吉は、イエズス会副管区長ガスパル・コエリュから贈られた干し果物を食べ、ポルトガルの葡萄酒を飲んでい」た時、「施薬院(全宗)が、秀吉に、キリシタンになった大名たちが、領地の寺社仏閣を破壊していることを告げた」ため、「関白殿(=秀吉)は怒り始め」ました。施薬院は高山右近についても、「最初高槻にいた時は、家臣を全員キリシタンにしたほか、その地の殿下が与えたすべての神仏の寺社を破壊した。明石でも同じことをして」いると述べたと記されています。
「右近は、この日の内に、キリシタンをやめるか領国を追放されるか、どちらか選ぶよう迫られ、『喜んで追放を受け入れ、領地を返す』と回答しました」と山本氏の同書に記されています。この点、大河ドラマでは、信心を捨てよという秀吉からの書状が右近のもとに届いたものの、右近は官兵衛や千利休の前で、自分を偽ることはできないと意思表明をしていました。
ルイス・フロイスの「日本史」(中公文庫)の中でも、バテレン追放令前後のことが詳しく記されていますが、右近の友である、キリシタンでない武将たちが彼のもとに訪ねてきて、「心中では、キリシタンであってもよいから、せめて外面だけなりと、キリシタンを断念したと言って、関白と折り合い、卑下されるがよい」などと嘆願したとあります。大河ドラマでは、こういう意味の台詞を利休が言っていました。
大河ドラマでは、秀吉とコエリュの対談の場で、三成が「長崎の港は、コエリュ殿がキリシタン大名の大村殿から頂戴した領地のようで」と口を差し挟んだため、秀吉は「頂戴したと申したか。九州ではバテレンが領地を持っておるんじゃな」などと言い、バテレンに対する警戒感を強めるという展開になっていました。
むろん、三成がこのようなことを言ったという史料的な裏付けはなく、施薬院が言ったことを三成がこういうふうに言ったという形に転化させていたわけで、三成の描き方に多分に意図的なものを感じます。
この間の経緯について、山本博文氏の「天下人の一級史料」(柏書房)の「バテレン追放令」の中で、バテレン追放令が出される前夜に起こったことが紹介されていますが、大河ドラマで描かれていたこととは内容が違っています。その典拠はルイス・フロイスが記した天正16年2月20日付のイエズス会総長宛て書簡であり、そこに書かれているのは次のようなことです。
「秀吉は、イエズス会副管区長ガスパル・コエリュから贈られた干し果物を食べ、ポルトガルの葡萄酒を飲んでい」た時、「施薬院(全宗)が、秀吉に、キリシタンになった大名たちが、領地の寺社仏閣を破壊していることを告げた」ため、「関白殿(=秀吉)は怒り始め」ました。施薬院は高山右近についても、「最初高槻にいた時は、家臣を全員キリシタンにしたほか、その地の殿下が与えたすべての神仏の寺社を破壊した。明石でも同じことをして」いると述べたと記されています。
「右近は、この日の内に、キリシタンをやめるか領国を追放されるか、どちらか選ぶよう迫られ、『喜んで追放を受け入れ、領地を返す』と回答しました」と山本氏の同書に記されています。この点、大河ドラマでは、信心を捨てよという秀吉からの書状が右近のもとに届いたものの、右近は官兵衛や千利休の前で、自分を偽ることはできないと意思表明をしていました。
ルイス・フロイスの「日本史」(中公文庫)の中でも、バテレン追放令前後のことが詳しく記されていますが、右近の友である、キリシタンでない武将たちが彼のもとに訪ねてきて、「心中では、キリシタンであってもよいから、せめて外面だけなりと、キリシタンを断念したと言って、関白と折り合い、卑下されるがよい」などと嘆願したとあります。大河ドラマでは、こういう意味の台詞を利休が言っていました。
大河ドラマでは、秀吉とコエリュの対談の場で、三成が「長崎の港は、コエリュ殿がキリシタン大名の大村殿から頂戴した領地のようで」と口を差し挟んだため、秀吉は「頂戴したと申したか。九州ではバテレンが領地を持っておるんじゃな」などと言い、バテレンに対する警戒感を強めるという展開になっていました。
むろん、三成がこのようなことを言ったという史料的な裏付けはなく、施薬院が言ったことを三成がこういうふうに言ったという形に転化させていたわけで、三成の描き方に多分に意図的なものを感じます。
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