大河ドラマ探訪312「花燃ゆ」4 松陰が寿と小田村伊之助の結婚に関わっていないことを示す書状

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 写真は京都島原の角屋の説明掲示板を昨年8月に撮ったものです。1月8日付拙ブログ記事に貼付した「久坂玄瑞の密議の角屋」碑のそばに建っています。角屋の歴史が記されたその説明掲示板の中に、「幕末には西郷隆盛・久坂玄瑞などの勤皇の志士たちが、軍用金調達のために時の豪商を招いて会議を行い、彼等を探し求めた新撰組が乱舞した場所であった」と記されています。
 大河ドラマ「花燃ゆ」のヒロインである文と久坂玄瑞は後に結婚し、その出会いが次回の第三回で描かれることが、予告編で示されていました。実際に文と久坂玄瑞の結婚を勧めたのは吉田松陰ですが、大河ドラマでは文の姉である寿と小田村伊之助の結婚を勧めたのが松陰という描き方になっていました。
 これはドラマ的な脚色ですが、文と久坂玄瑞の結婚の時も同じような描き方を踏襲するのでしょうか。それとも、史実とは別のドラマ的な脚色がされるのでしょうか。
 大河ドラマでは、第一回で文と伊之助の運命的な出会いをもってきていますので、文は伊之助に淡い思いを燃やし、姉の寿子との結婚決定に涙を流すという展開になっていました。
 このあたりは現代的なドラマの描き方ですが、嘉永5年(1852)のこととして設定されており、文が天保14年(1843)生まれという説に従えば、この時数え年10歳であり、一方、伊之助は文政12年(1829)生まれですから、24歳になります。
 松陰が寿と小田村伊之助の結婚に関わっていないことを示す史料として、川口素生氏の「吉田松陰と文の謎」(学研M文庫)の中で、嘉永6年(1953)8月15日付杉梅太郎宛吉田松陰書状の一節が挙げられています。
 すなわち、「寿妹儀、小田村氏へ嫁せられ候由,先々(まずまず)珍喜此の事御同慶仕(つかまつ)り候。彼の三兄弟皆読書人、此の一事にても弟が喜ぶところなり(=妹・寿)が小田村伊之助殿に嫁ぐとのことですが、大変素晴らしいことで、我がことのように喜んでおります。伊之助殿を含む三兄弟は学問熱心な人で、このことにも弟の私(=松陰)は喜んでいます」と。
 またこの書状の一節について、川口氏の同書に「『学問熱心な伊之助ら三兄弟と親類になったので、(学問上の)話し相手が出来た』という松陰の率直な思いが窺える記述といえよう」と記されています。この史料から見れば、松陰が伊之助と親しくなったのは、寿との結婚以降のことだと考えられ、大河ドラマで描かれていたように、江戸遊学の前に二人が親密になったというのはドラマ的な設定ではないでしょうか。

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