阪神・淡路大震災から20年 自作短歌の周辺24 震災のことを詠んだ歌 20年前の今日の日記の記述

 阪神淡路大震災から今日で20年です。はやそんなに月日が経ったのかという思いですが、被災地の人々にとっては、逆に長く感じられた日々だったのではないでしょうか。家族や大切な人を亡くした人、家が倒壊した人、家を焼失した人、その喪失感が完全に消えることはないでしょう。それは東日本大震災でも他の災害でも変わりありません。

 人としての優しさ辛さを知らしめし震災を心の錘(おも)りとなさむ

 阪神・淡路大震災のことを詠んだ当時の歌です。自分が出版した歌集の題はこの歌から採り、「心の錘り」としました。それほど大震災のことが自分にとっては、大きな衝撃でしたし、この思いをとどめておかねばならないと思いました。歌の中の「優しさ」とあるのは、被災者の窮状を見るに忍びず、全国各地からボテンティアの人々が集まり、被災地で助け合いの精神が息づき、われわれも人間の温かさを改めて感じたことを指します。一方、「辛さ」は、被災者の心情でもありますし、われわれも新聞やニュースで被災地の惨状を見るにつけ、心が痛みましたし、自然の強大な力になすすべもない人間の非力さ、はかなさを思い知らされました。
 震災から教えられたことを自分の「心の錘り」として歩んでいきたいという思いから作った歌でした。
 20年を機に当時の日記を取り出しましたが、今日付で次のように記していました。
「午前5時46分、猛烈な地震の揺れが起こり、目を覚まされた。即、ラジオのスイッチを入れたが、神戸が震度6で、淡路島の下が震源地という。奈良が震度4。書斎の本箱の上に置いていたカセットケースボックスが10個余り落ちて、テーブが床いちめんに散らばっていた。食器棚のコップが一つ割れたり、人形が倒れたり、揺れの割には被害が少なくて済んだが、ピアノが1センチ程動いていたところに地震の大きさを改めて感じた。トーストを食べて出勤しようと思っていたら、関西線が不通という情報が入り(他の鉄道も大半が動いていなかった)、家で待機。(中略)
 日中も何回となく余震があり、不安がつのった。テレビ、ラジオは一日中、地震のニュースを流していたが、被害は大きくなる一方で、死者・行方不明者はとうとう二千人を超えた。家屋やマンション、病院の倒壊、新幹線やJR在来線、阪急、阪神などの線路破壊、火災の発生(夜に入っても何カ所も燃え続け、火勢は収まるどころか、ますます強まり、範囲を広げているほど)。直下型地震の恐ろしさをまざまざ見せられる思いで、人為の小ささ、人工物のもろさを感じた。(後略)」などと。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 3

なるほど(納得、参考になった、ヘー) なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック