阪神・淡路大震災から20年 初めて公開されたビデオの映像 20年前の1月18日の日記 生徒に地震の話

 阪神・淡路大震災20年の特集番組や新聞記事がここのところ多く見られ、これも大震災を風化させてはならず、記憶にとどめて後世に受け継いでいかねばならないという思いの表れです。
 15日の毎日放送の番組「ちちんぷいぶい」で、20年経って初めて、大地震が起こった当日の朝に、神戸市の職員の松崎氏(当時35歳)が撮ったビデオの映像が公開され,放送されていました。松崎氏の生まれ育ったところが変わり果てた姿になっており、撮影しながら「なんちゅうことや、これ、須磨が…長田が…メチャクチャになっとる」と叫んでいるところでは、こちらも胸が詰まりました。これまで被災地の人々に配慮して生々しい映像の公開が控えられてきました。
 大震災が起こった当時、私は奈良県生駒郡安堵町に住んでおり、バス、JR関西線(今は大和路線)、阪堺線を乗り継いで大阪府立住吉高校まで1時間余りかけて通勤していましたが、当日は交通が不通で出勤できませんでした。
 今改めて、当時の日記を読み直してみると、何日にもわたって震災関係のことをかなり詳しく記しています。当時の記録の一つとして紹介しておきたいと思います。20年前の今日、1月18日付の日記には次のようなことを記しています。
 「なんともすさまじい被災地の状況である。火災によって一面の焼け野原になった地域、三ノ宮や南京町も元の形をとどめないほど無惨な姿をさらしている。まるで第二次大戦終戦直後の日本にタイムスリップしたような錯覚を感じる。死者は2500人、行方不明者は900人に増えた。他人事とは思えず、今住んでいるところが直下型地震に襲われたらと、背筋が寒くなる。時々余震が起こり、余計恐怖心が募る。恐らくこのような地震恐怖症の関西人が相当増えたのでないか。Oさん(同僚の名字)に聞いたところ、Iさん(同僚の名字)が倒れたタンスで顔を怪我し、マンションも断水中とか。2限の10組の授業は、1時間中この地震の話。生徒の要望によるものだが、SやY(両方とも生徒の名字)が質問をしたり発言したりするので、一方通行にはならず、活発な内容のある授業になった。(後略)」と。
 日記の中で、10組とありますが、国際教養科のクラスです。当時、国際教養科が普通科と並んで設置されていましたが、現在、住吉高校は住吉国際科学高校に変わっています。国際教養科には特に個性的な生徒が多く、地震が起こった翌日ですから、生徒たちの動揺も強く、彼らも口々に地震の話をしてくれと要望しますので、自分が知っている範囲での現状などについて話し、また生徒たちもいろいろな質問を発したり、意見を述べたりしますので、ディスカッションの時間のようになりました。しかし、そういう時間を持ったことで生徒の理解を深め動揺を鎮めるという意義はあったと思っています。もう1時間別のクラスの授業があったのですが、その時は地震の話は前半だけで、後半は古典の授業を行いました。

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