石田三成の実像1361 天正大地震を経験 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月22日の日記

 阪神・淡路大震災から20年ということで、当時の日記を紹介していますが、石田三成も生涯二度大地震を経験しています。一つは天正大地震であり、もう一つは、伏見大地震です。天正大地震は天正13年(1583)11月29日に起こりましたが、秀吉はこの時、坂本城にいました。三成のこの時の居所は確定されていませんが、秀吉に近侍していたものと思われます。秀吉は急いで大坂に戻りましたが、三成も同行したのでしょう。このとき長浜城も崩れ、山内一豊の娘が地震で亡くなりましたが。そのことは大河ドラマ「功名が辻」で描かれていました。秀吉が坂本城に来たのは、この後、家康に攻撃をかけるつもりだったのに、この大地震でその計画が頓挫したことが、「磯田道史の備える歴史学」で指摘されていることを、以前の拙ブログ記事で取り上げました。家康は長久手の戦いで秀吉軍を破っていますが、あくまで局地戦の勝利であり、今回は秀吉は総力戦で家康を破るつもりであり、もしそうなっていたら家康に勝算はなく、家康は天正大地震によって助かったことも同書には記されています。
 もう一つの伏見大地震についても、以前拙ブログで取り上げたことがありますが、改めて後述します。
 さて、20年前の今日、1月22日の日記は次のようなことを記しています。
 「昨夜の地震に関する番組やつるべ・文珍の体験談を見聞きするにつけ、被災地の人々の助け合いの精神に何度も感銘させられ、目ぶたが熱くなった。それまでほとんど交流のなかった者同士が結びつき、励まし合って、苦難な状況を乗り越えてゆこうとしている。無料でたこ焼きやラーメンを食べさせる店の人々、配給されたおにぎりを、死んだ人や生き埋めになっている人のことを思うと胸が詰まって口にできないと涙ぐむおばあさんたちの姿を見ていると、人間というものは捨てたものじゃないと、こちらの心まで温かくなってくる。家を失い、財産を失い、最低限の生活を保証するものさえなくしてしまったその思いは、体験した人でないと実際のところは分からないが、道端で炊き出しをしていた中年男性が、これで原点に戻ったんだとプラス志向で言っていたその言葉が、強く印象に残った。失ったことで逆に貴重なものが得られ、それまで見えなかったものが見えてきたということなのだろう。と大きなことを言える立場にはない自分なのだが。
 一日雨。二次災害が起こっていないかと、やはり被災地のことが気になる。(後略)」と。
 自作短歌を17日付拙ブログ記事で紹介しましたが、短歌の中の「人としての優しさ」という表現は、上述の日記に書いたようなことを指していますし、東日本大地震の時も同じような思いを持ちました。

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