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zoom RSS 石田三成の実像1364 大坂城の地滑り跡 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月25日の日記

<<   作成日時 : 2015/01/25 18:45   >>

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 三成が体験した、文禄5年(1596)閏7月13日の深夜に起こった伏見大地震ですが、伏見城は倒壊したものの、大坂城はそれほどの被害はありませんでした。しかし、寒川旭氏の「秀吉を襲った大地震」(平凡社新書)には、この時の地震による大坂城の地滑り跡が取り上げられ、写真も掲載されています。この地滑り跡について、寒川氏の同書には、「大坂城の敷地に大きな谷が存在し、激しい揺れによって地面が滑り落ちた痕跡」であり、「地盤の良好な上町台地と言っても、谷の縁は不安定なので、このような地変が生じたのであろう」と記されています。
 さて、20年前の今日、1月25日の日記には阪神・淡路大震災に関して次のようなことを記していました。
「今回の地震の揺れは、関東大震災の時の2倍という。これだけの被害が出るのも当然だと言えるが、専門家も予想をはるかに超えた規模だと言って今までの安全神話の口実にしようとしている。科学の力を信じ過ぎ、自然を見くびっていた証拠だ。R(自分の子供 当時8歳)が今度の地震に関して『地球さんが怒っているんと違う?』と言っていたが、一面の真実を突いている。
 万物の霊長といばり、自然を破壊し続けている報いだとするのは、犠牲者に対して礼を失しているが、地震列島の上に築かれた繁栄は虚妄でしかないことを、阪神大震災はいやというほど見せつけた。東京・大阪をはじめ、大都市はいつこういう運命に見舞われるかわからない。多額の借金をして購入した一戸建てやマンションが地震で倒壊し、住む所もなくなり、ローンの支払いだけが残っている悲惨な人も多いが、これから先は一瞬先は闇だから、マイホームを買っても仕方ないと考える者が増えてくるのではないか。刹那的な生き方を求めることにもつながりかねない。大地震は人生観さえ変える」と。
 今読み直せば、「刹那的な生き方」というところなど、極論に走る過ぎるという気がしますし、当時は大都市の地震のことしか頭に入れていなかったことが反省点です。よもや東日本大震災のような大津波による甚大な被害が起こるとは思っても見ませんでした。
 二重ローンの件は、東日本大震災の時も問題になりましたが、救済法案がその年に成立し、その問題は一定の解決を見ました。
 もっとも、安全神話を信じていたという点については、阪神・淡路大震災の時までもそうでしたし、東日本大震災が起こる前までも同じでした。原発事故が起こって安全神話は脆くも崩れ去りましたが、そういう教訓を忘れて安全審査に合格したということで原発の再稼働が進められようとしています。こういう姿勢には大きな懸念を感じずにはおられませんし、後の世代に負の遺産は残したくないと強く思っています。

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