石田三成の実像1365 桐野作人氏講演・信長遺構 阪神・淡路大震災から20年 当時の1月26日の日記

 
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 写真は長浜市の北ビワコホテルグラツィエの玄関に建つ「友の会創立30周年記念事業会場」の案内板を24日に撮ったものです。友の会とは「長浜城歴史博物館友の会」のことであり、記念事業の第2部として桐野作人氏の講演会「石田三成と関ヶ原合戦~西軍はいかに戦おうとしたか~」、第3部として桐野氏と太田浩司氏の対談「石田三成の生涯と人物評価」が行われ、それに参加しました。桐野氏の講演会は今まで二度聴いたことがあり、その時に取り上げられた史料もありましたが、そうでないものもあり、いろいろな知見が得られ、大変有意義な内容でした。その詳細については改めて後述します。
 その日は彦根に泊まりましたが、オンライン三成会の人二人と夕食を共にし、三成談義に花が咲き、これも充実した時間を味わいました。25日は当初の予定は佐和山を昨年12月とは逆コースで回るつもりでしたが、23日の新聞に信長の佐和山城攻めの遺構が発見され、25日午後に現地説明会があることということが掲載されていたので、予定を変更し佐和山は少し登る程度にし、大手付近を北の方までぐるりと回って探索しただけで、現地説明会の方に行きました。遺構はかなり規模が大きく、臨時の階段も設けられていましたが、堀切や竪堀を間近で見ることができ、これも大変ためになりましたが、この詳細についても後述します。
 さて、阪神・淡路大震災から20年ということで、記録の一つとして当時の日記を日々紹介していますが、今日、1月26日の日記は次のようなことを記していました。
 「昨夜のニュースステーションを見ていて、外国の救援隊をすぐに受け入れようとしなかった日本の政府の無能ぶりに腹が立ってならなかった。イギリスの救援隊は地震が起こってわずか30分後に申し入れを行っているのに、日本はすぐに回答せず、何日も経ってからようやく受け入れに応じた。優秀な救援隊でもこれでは手遅れで、活躍の場が与えられないままだった。受け入れを決定するまでに各省庁や地方自治体と協議しなければならないというお粗末な『お役所仕事』のシステムのおかげで、助かるべき命も助からないで終わったと思うと、くやしくて仕方がない。縦割りの行政組織、官僚制度をなんとかしない限り、日本の明日はない。(後略)」
 阪神・淡路大震災のことが教訓になって、東日本大震災の時にはいち早く外国のレスキュー隊を受け入れましたし、外国で地震が起こった時には日本のレスキュー隊が支援に駆けつけました。しかし、日本の縦割り行政組織、官僚制度はいまだに改善の兆しが見られず、これから先も変わらないのではないかと絶望的な思いを持っています。

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