自作短歌の周辺25 大河ドラマ探訪318 「八重の桜」を題材にして詠んだ短歌

 一昨年の大河ドラマ「八重の桜」を題材にした短歌を遅まきながら紹介します。詠んだのは昨年の最初のころですが、先生のご病気入院ということがあったため、それらの短歌が掲載された歌誌が、発行されたのは昨年の11月です。私もその歌誌の編集作業に何日にもわたって関わりました。
 
 守護職に会津藩主の選ばれて動乱の渦に巻き込まれゆく
 天皇より宸翰(しんかん)賜りしことさへも伏せられ会津は朝敵扱ひ
 皇室に会津藩主の孫嫁ぎやうやく晴れぬ賊軍扱ひ

 他にも「八重の桜」を題材にした作品を何首も詠んだのですが、歌誌に載せた分だけ紹介しました。
 今年の大河ドラマ「花燃ゆ」は、会津藩とは敵対する長州藩側から見たドラマですから、会津藩や幕府側のことが今後どのように描かれるのか、興味津々です。両方のドラマを比較し検討してみるのも勉強になると思います。
 一首目の歌は、松平容保が京都守護職に選ばれたことから会津藩の運命が大きく変わり、幕末の動乱に否応なく巻き込まれてゆくことを詠んだものです。徳川家のために尽くすという会津藩の家訓を持ち出されて就任を断り切れなかった容保の姿が哀れでした。
 ニ首目の歌は、文久3年の八月十八日の政変で、長州藩を朝廷から追い払ったことで、孝明天皇から御宸翰を賜ったものの、後に立場が逆転し、会津藩は朝敵にされ、その汚名は明治時代になっても晴れることはなく、御宸翰を賜ったことも伏せられてきましたが、そのことを詠んだものです。「八重の桜」最終回でも取り上げられていましたが、御宸翰を賜ったという事実を、元会津藩士だった山川浩・山川健次郎が明治44年に出版した「京都守護職始末」の中で書き、会津藩を朝敵だと思っていた世間を驚かせました。「八重の桜」の作者である山本むつみ氏も講演会で、ドラマの中でこの「京都守護職始末」の出版のことに是非触れたいと思っていたとおっしゃっていました。
 三首目の歌は、昭和3年、松平容保の孫の勢津子が、皇族の秩父宮に嫁いだことで、朝敵という汚名は雪がれたことを詠んだものです。そのことを祝って、会津では提灯行列が行われ、今も会津祭りとして引き継がれていることが、「八重の桜紀行」で紹介されていました。

 

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