京都探訪217宝積寺の「一寸法師」のモデルとなった打出と小槌 古典文学探訪154「御伽草子」との違い

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写真は山崎の宝積寺の本堂を昨年6月26日に撮ったものです。大山崎山荘美術館の「野口哲哉展」を見た後、天王山の山頂に登りましたが、その時のことは拙ブログ記事に記しました。
 毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」の「昔の人は偉かった」のコーナーは、近畿縦断の旅はすでに終わり、新しいシリーズが始まっており、北野天満宮から姫路城まで歩くコースですが、二回目に宝積寺に立ち寄っていました。今回の旅では、受験生の合格祈願が大きな目的となっており、道真ゆかりの各地の天満宮などに参拝していますが、それだけではなく各地の歴史ポイントにも立ち寄っています。この回は長岡天満宮から上宮天満宮まで歩いていました。
 宝積寺へは、天王山の登り口から入っていましたが、天王山が山崎の合戦で秀吉が先に陣を置き光秀を打ち破ったところであり、そういうところから天王山という言葉が勝敗や運命の重大や分かれ目という意味で使われるようになったと番組では説明されていました。もっとも、幕末の禁門の変の際、長州藩が陣を置いたところでもあったということは触れられていませんでしたが。
、宝積寺については724年に聖武天皇が創建したこと、聖武天皇が即位する前、夢の中に龍神さまが現れて宝物を授けて、聖武天皇がその宝物に75日間祈ったところ、天皇に即位することができたため、寺を建てその宝物を奉納してことが紹介されていました。
 河田直也アナウンサーとくっすんは、その宝物を住職さんに本堂で見せてもらっていましたが、打出と小槌の二つでした。「一寸法師」には、打出の小槌として出来ますが、そのモデルとなったのが打出と小槌であり、一寸法師はこの寺で修行したが、一寸ではなく普通の身長の男性であり、打出と小槌のご利益で鬼を退治したことから、お姫様と結婚できて出世したという話が伝わっていると住職さんは話していました。
 「御伽草子」の「一寸法師」の話では、一寸法師はおじいさんとおばあさんが住吉大明神から授かりましたが、一寸法師は難波の住吉の浦から椀の舟に乗って都へ向かい、鳥羽の港に着いたと記されています。一寸法師は四条・五条の様子に驚き、三条の宰相殿の屋敷に立ち寄って宰相殿に仕え、姫君に恋をするという展開です。この話には山崎や宝積寺は出て来ません。
 面白いのは姫君を手に入れるべく一寸法師が策略をめぐらし、姫君が家から追い出されるように仕組んで、自分がお供についていくというところであり、正義の味方というイメージではありません。そういう正義のイメージが形成されるのは、明治になって児童書が書かれてからかもしれません。打出の小槌は鬼が持つものとして出てくるのは「御伽草子」以来変わっていませんが、鬼の所有物であったというのは「平家物語」にも記されており、宝積寺の寺宝とは違った扱いがされているのが気になるところです。

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