自作短歌の周辺26  「三人組」と呼ばれた時から50年余り・共に歩んできた友との20年ぶりの語らい

 今週の月曜日に、小学校時代からの友人F君に20年ぶりに会いました。大阪の天満で一緒に昼食を取り、その後、喫茶店でコーヒーを飲みながら、計3時間余り、時間を忘れて近況や今の思いなどを語り合いました。自分が短歌を詠むようになったのは、中学時代、彼に誘われて文芸部に入部したことがそもそものきっかけでしたし、 若い時からいろんな意味で彼の影響を受けてきました。
 
 人気あるコメディー番組の名にちなみ三人組と呼ばれしわれら
 中学も高校も二人して通学し果ては仲良く浪人をせり
 
 10年余り前に詠んだ連作短歌「ある軌跡」の中の作品です。小学校5年6年の時、仲が良かったH君、F君
と自分の3人はクラスのみんなから「三人組」と呼ばれていました。当時、アメリカのコメディードラマで「三バカ大将」という人気番組があり、日本のテレビ番組でも「お笑い三人組」というものがありました。出席番号も三人並んでおり、お互い動物のあだ名をつけていましたし、みんなからもあだ名で呼ばれていました。
 残念ながら、H君とは中学ではクラスが違ってしまい、住むところも遠く離れていたため、いつしか疎遠になってしまいましたが、F君とは同じクラスになり、3年間一緒でした(中学では3年間クラス替えがありませんでしたし、担任の先生も変わりませんでした。当時は1学年16クラスあり、クラスが違うとあまり接点がありませんでした)。 F君の家とは歩いて10分程の距離にあり、通学する時は彼が自分の家に寄って一緒に出かけました。さらにラッキーなことに、F君と共に同じ大阪府立高津高校に合格して、今度はクラスは一緒になりませんでした(高校では毎年クラス替えがありました)が、通学する時は今度は逆に自分が彼の家に寄って、3年間一緒に通いました。
 しかも、二人とも大学受験に失敗し、仲良く浪人しましたが、私の家は貧しかったので予備校に行くお金がなく、宅浪しました。F君の方は予備校に入りましたが、F君の家はモータープール(大阪では駐車場のことをそう言います)を経営しており、私は夜の間だけモータープールの事務所に詰め、泊まり込んで車を管理するというバイトをしました。むろん、事務所で用事がない時は受験勉強に励むことができたのですが、彼も毎日事務所に寄って、予備校の話などをしてくれるので、孤独感を味わわずに済みました。
 無事に翌年、二人とも志望大学に合格しましたが、大学時代もF君の家に行ったり、F君も私の京都の下宿に来て一緒に謄写版で印刷し雑誌作りをしたりしました。
 しかし、F君は大学院卒業後、東京のコンピューターメーカーに就職し、それからずっと東京生活が続いたので、会う機会が随分減りました。もっとも、F君が実家に戻ってきた時には家を訪ねたり、外で会ったりしましたし、東京の家にも2度ばかり訪ねもしました。
 しかし、ここ20年程は自分も転居したことなどもあって、いつしか遠ざかっていましたが、F君が大阪の実家に戻ってきて、会社も退職し、お互い時間の都合がついたので、今回久しぶりに会うことができました。旧交を温め、密度濃い有意義な時間を過ごしました。

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