自作短歌の周辺27 夜を徹して謄写版印刷していた下宿・昨日京大付近を久しぶりに散策

 
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 写真は大学生の時に下宿していた付近を昨日撮ったものです。写真に向かって左側の奥の茶色っぽい家に下宿していました。当時はこのあたり全体が京町家の長屋みたいな感じでしたが、今ではすっかり様変わりして、現代的な家々が建っていました。
 昨日は家人と平八茶屋でとろろ麦飯膳の昼食を取り、松ヶ崎大黒天にお参りした後、地下鉄今出川駅から一人で東に歩き、出町柳を経由して、下宿していた付近や京都大学のキャンパス、吉田神社など懐かしの場所をいろいろめぐりました。本部の時計台や文学部の方だけでなく、何十年かぶりに吉田キャンパスの方へも足を延ばしましたが、校舎など随分変わっていました。

 輪転機に手を汚しつつ明け方まで友とガリ版の雑誌作りぬ

 小学校以来の親友F君と、大学時代にこの下宿で夜を徹してガリ版刷りの雑誌を作った時のことを詠んだ短歌です。この雑誌は自分たちが属していた巻雲短歌会の若者たちで結成された文月会の会報であり、3号まで出しました。
 巻雲短歌会を創設されたのは植村武先生ですが、最初は大阪市立天王寺中学校の文芸部の顧問をされており、F君が最初文芸部に所属して、植村先生を敬愛し、自分も入部するように勧められたので、それに興味を惹かれて文芸部に入ったことで、植村先生との出会い、短歌との出会いにつながりました。
 退職された植村先生が短歌会を立ち上げたのは私たちが高校2年のことであり、最初は会員は文芸部出身の若者がほとんどでしたが、若者たちは長続きせず退会者が相次ぎ、代わってベテランの会員が多く入会しました。そういう状況を打破するため、F君が中心となって若者たちだけで文月会支部というものを結成し、歌誌とは別の文月会の会報を作ることを提案し、自分もそれに賛同して、一緒に雑誌作りに励みました。
 今でこそ印刷は便利になりましたが、当時は謄写版での印刷であり、ガリ版を切るのも大変でしたし、印刷も手作業で時間がかかりました。
 この会報を出すにあたって、原稿を依頼したのは会員に対してだけでなく、私の文学部仲間にも依頼したところ、2、3人が文章を寄せてくれました。内容は短歌にかかわらず、広く文学に関するものでもよいとのことで、それが、後にF君と私、文学部仲間が一緒になって、同人誌を出すことにもつながりました。
 F君は大学院卒業後、東京に就職して、仕事に追われる日々が続いたということもあって、結局短歌会は退会しましたが、私がずっと短歌を詠み続け、創作活動を続けてこれたのは、F君との学生時代のこういう精力的な活動がもとになっています。
 

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