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zoom RSS 大河ドラマ探訪334「花燃ゆ」25 女台場の碑・「草莽崛起論」に基づいた奇兵隊創設・大村益次郎の存在

<<   作成日時 : 2015/06/07 10:42   >>

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写真は萩の菊ヶ浜土塁(女台場)の碑を3月20日に撮ったものです。萩に2泊した後の3日目の午前中に毛利輝元墓所に参拝して、菊ヶ浜沿いに東に向かって歩き、ここまでたどり着きました。この日はそれまで2日間雨だったのと違って、晴天でした。この女台場は第22回の「花燃ゆ紀行」でも取り上げられていました。 そばにある説明掲示板には、次のように記されています。
 「文久3年(1863)5月10日の攘夷決行の日、萩藩の馬関砲台(下関市)は関門海峡を通過する外国船に砲撃を加えたが、期待に反して大損害を受けた。これを機に萩藩は外国船の来襲に備えて菊ヶ浜に土塁の築造を住民に命じた。土塁の築造にあたって、特に武士の妻や奥女中の功績が大きく、通称『女台場』と言われている。また山口県を代表する民謡『男なら』が、この時の作業唄として歌われたものである。現在高さ3メートル、幅12メートルの土塁が50メートルにわたって比較的よく旧態を保っている」と。
 大河ドラマ「花燃ゆ」では、ヒロインの文が台場作りを手伝うことを申し出て、他の女性たちもそれに賛同して協力するという設定になっていました。
 民謡「男なら」も大河ドラマでヒロインの文たちが作業中歌っていましたし、「花燃ゆ紀行」でも、曲に合わせて女性たちが踊っていました。
   
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 写真は女台場の土塁の一部を撮ったものです。説明文にある「高さ3メートル、幅12メートルの土塁が50メートルにわたって」ということが、歩いてみてよくわかりました。
 「花燃ゆ」第22回「「妻と奇兵隊」は、題名通り、女たちの台場作りと高杉晋作の奇兵隊作りを中心にドラマが展開されていました。大河ドラマでは、晋作が藩主の毛利敬親に、身分を超えた奇兵隊の結成を建言し、それが認められ、晋作が隊員に指導したり松陰の「草莽崛起」という言葉を説いてたりしていました。
 木村幸比古氏の「吉田松陰の実学」(PHP新書)には、奇兵隊が意味するところについて、「奇兵隊日誌」の記述が引用されています。
 すなわち、「有志の士をつのり、一隊を創立し名づけて奇兵隊といわん。しかれども、もっぱら奇兵のみをもって従事するにあらず。奇兵の中また正あり奇あるなり。いわゆる正兵者は総奉行の兵にあり。これに対して奇兵にせんと」と。
 木村氏の同書には、「この隊は藩の正規軍ではない」ということも記されています。大河ドラマでは、晋作が専ら隊員を指導していましたが、川口素生氏の「吉田松陰と文の謎」(学研М文庫)には、「洋学者(兵制家)・大村益次郎(村田蔵六)らによって最新の西洋式軍備の教練が行われた」と指摘されています。大河ドラマでは出てこない大村益次郎らの存在も大きかったと思われます。
 
 
 
 

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