追悼・日航ジャンボ機墜落事故から30年・当時の日記より・事故当夜は詳しいことはわからず  

 日航ジャンボ機墜落事故から30年経ちます。新聞でもテレビでも特集記事や特集番組が組まれていますが、この事故の衝撃は鮮明に覚えていますし、この事故のことはこれからもずっと語り継いでゆかねばならないと思います。
 この1985年という年は、夏のこの事故、阪神タイガースの日本一(球団社長がこの飛行機事故で亡くなったのもショックでした)、年末の自分の結婚と、忘れられないことがいろいろと重なった年でした。 このジャンボ機事故について、当時の日記にどういうことを書いていたのかと思って、古い日記を取り出すと、次のようなことを記していたので、当時の記録として紹介したいと思います。
 
 8月12日(月)
 「(前略)日航のジャンボ機が墜落したというニュースにショックを受け、夜中の3時過ぎまでそのことに関するテレビを見ていた。なにぶん墜落場所が信州と群馬の境の山中とあって、捜索隊がなかなか現地まで到達できないのだ。とうとう寝る時まで現地まで到達したというニュースは入ってこなかった」

 8月13日(火)
 「(前略)今日も1日中日航機事故のニュースを見ていた。524人全員絶望と見られていたが、4人の生存者が見つかり、わずかに救いとなった。墜落原因もよくわからなかったが、夜になって垂直尾翼の一部が三浦湾海上で発見されたことから、この破損が操縦不能を引き起こした可能性が高くなった」

事故原因については、後に7年前の尻もち事故によるボーイング社の修理ミスによって、後部圧力隔壁が破損し、垂直尾翼が失われ、 油圧操縦システムが働かなかったことによるものだったということがわかりました。ダッチロールが何十分も続き、その間乗客たちが味わった恐怖、苦痛は想像を絶するものがありました。
 丁度この時期、年末に新婚旅行でヨーロッパへ飛行機で行くことを考えていた時でした(実際、ヨーロッパに行きました)から、飛行機への恐怖心が一層募った事故でした。
 一度にこれだけ多くの犠牲者が出たという飛行機事故は初めてのことであり、事故で家族を喪った人々の話には今でも胸が痛くなりますし、遺族の人々にとって喪失感が消えることはないでしょうが、少しでも遺族の人々の心が癒されることを願ってやみません。
 今でもなるべくなら飛行機に乗りたくないという思いは自分の中で強いですし、実際、飛行機事故はいまだになくなってはいませんが、空の安全を何より心がけてほしいと願っています(他の乗り物もそれは一緒ですが)。

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