日本文学探訪116 山川登美子記念館4 梅花高校 昭和50年の拙文「『明星』における白百合」2 

 
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 写真は山川登美子記念館の入口の門を昨年12月24日に撮ったものです。
山川登美子は大阪の梅花女学校を卒業していますが、昨日の毎日放送の番組「ちちんぷいぷい」の「たむらけんじの学校へ行こッ!」のコーナーで、梅花高校が取り上げられていました。大阪で最初に作られた女学校であると紹介され、たむらさんが舞台芸術コースのクラス(夢多き女生徒たちのトークと笑顔が印象的でした)、チアリーディング部(昨年の世界選手権大会で優勝。その迫力あるハイレベルな演技に圧倒されました)を訪ねていました。番組では触れられていませんでしたが、同校は山川登美子短歌文学賞を設けています。
  さて、昭和50年12月の拙文「白百合と題して」の第1章「『明星』における白百合」を紹介していますが、その続きです。
 
 (明治33年)8月3日、鉄幹が大阪入りし、北浜の平井旅館に宿泊した。翌4日、晶子、登美子は師である鉄幹に初めて会った。この二女性が顔をあわせたのもこの時が最初である。6日に浜寺で浪華青年文学会堺支部主催の歌会、8日には平井旅館で再び歌会、9日には鉄幹が登美子、晶子らを伴なって住吉神社に遊び、月夜、蓮池で歌を書き交わした。この時の登美子の歌。
 歌かくと蓮の葉をれば糸のなかに小さきこゑする何のささやき

 これに対する鉄幹の返歌。
 蓮きりてよきかと君がもの問ひし月夜の歌をまた誦してみる

 こうした8月の出会いが、鉄幹、晶子、鉄幹の間を急速に近づけたのである。晶子と登美子は姉妹の交わりを結んだが、それと同時に二人は師の鉄幹に対して恋心を燃やすライバルとなっていった。

 髪ながき少女(をとめ)とうまれしろ百合に額(ぬか)を伏せつつ君をこそ思へ
 あたらしくひらきましたる歌の道に君が名よびて死なんとぞ思ふ

 右の歌中「君」とあるのは、むろん鉄幹のことである。登美子の胸中には、鉄幹に対する思慕と共に、短歌の道をきわめたいという望みもあった。しかし秋になって、郷里にいる両親から結婚問題が持ち上がり、帰国するように言ってきた。登美子にその気がなかったのは言うまでもないが、親の意向に従わねばならないのが明治という時代の悲しさであった、鉄幹が再び関西に来たのはこのような時であった。
 

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