日本文学探訪120 山川登美子の日本女子大学校停学処分 「『明星』における白百合」6

 歌人の山川登美子は、成瀬仁蔵(朝ドラ「あさが来た」の成澤泉のモデルとなっている人物)に憧れて日本女子大学校に入学しましたが、合同歌集「恋衣」を出版しようとした時に、停学処分を受けましたから、憧れの大学にどれだけ幻滅を感じたことでしょう。それをうかがわせる歌も詠んでいます(拙ブログでも紹介しました)が、坂本政親氏編「山川登美子全集」(光彩社)には、この事件や処分について、大学の学籍簿などには記録が残っていないものの、処分の理由について、次のように推測されています。
 「女子学生の身分で時局も弁えずに、恋愛などを多く詠み込んだかかる反時代的な歌集を出版するのが、不謹慎きわまるものであるというのにでもあったのだろうか」と。
 「時局」とありますが、明治37年のことであり、日露戦争の最中でした。同書には、「風評の芳しくなかった鉄幹に対する誤解や、明星派の歌風そのものに対する偏見もあっただろう」こと、与謝野晶子の詩「君死にたまふこと勿れ」が「明星」に載ったことも、「世間への顧慮として問題視せざるを得なかった」ことも記されています。
 
 さて、昭和50年12月に書いた拙文「白百合と題して」の第1章「『明星』における白百合」を随時紹介していますが、その最後の部分です。

 与謝野鉄幹は明治42年4月、「相聞」の中で彼女の死を傷んで歌を詠んでいる。

 君なきか若狭の登美子しら玉のあたら君さへ砕けはつるか
 わが為めに路(みち)ぎよめせし二少女(ふたをとめ)一人は在りて一人天翔(あまがけ)る
 この君を弔ふことはみづからを弔ふことか濡れて歎かる
 な告(の)りそと古きわかれに云ひしことかの大空に似たる秘めごと

 鉄幹は、結婚後も登美子に対する執着があり、晶子の嫉妬を買うことにもなっている。晶子が歌集「佐保姫」の中で登美子の死を詠んでいる歌にもそれが表れている。

 背とわれと死にたる人と三人(みたり)して甕(もたひ)の中に封じつること
 挽歌の中に一つのただならぬこともまじふる友をとがむな
 亡き人を悲しねたしと並べ云ふこのわるものを友とゆるせし

 登美子の短い一生、特に後半は不幸の連続であった。晶子が輝かしい太陽とも言うべき存在であったのに対して、それを商家の出である浪華女性のバイタリティーと、北国若狭の女性の柔弱さの対比としてとらえるのはあまりに図式的な割り切り方であるかもしれない。とはいえ、山川登美子が「明星」に咲いた、一輪の可憐な「白百合」であったことに違いはないのである。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック