奈良探訪8 秋篠寺の伎芸天像の美しさ・「仏像に想う」の岡部伊都子氏の名解説

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  写真は秋篠寺の本堂を10日に撮ったものです。この日は午後から生駒で歌会があったので、それまでの時間を利用して近鉄の西大寺駅で途中下車して、訪ねました。駅から北西に歩いて十数分程のところにあります。秋篠寺を訪ねるのは何十年ぶりでしょうか。一番のお目当ては本堂に安置されている伎芸天像です。 私が本堂に入った時は、他に人はいなかったので、ゆっくり見ることができました。若い時も伎芸天像の女性的な柔和な美しさに魅せられましたが、久しぶりに対面して改めて胸がときめく思いがしました。
 梅原猛氏・岡部伊都子氏の「仏像に想う」(講談社現代新書)の中で、秋篠寺の伎芸天像について解説されていますが、若い時にその本を読んで初めて秋篠寺に行く気になったのかもしれません。そのあたりの経緯はよく覚えていないのですが。「仏像に想う」の解説は名文であり、文学的な表現がされており、今読み直しても心が動かされます。その一部は次のようなものです。
 「しみじみと仰いでいるうちに、ただならぬ深い美しさに心がめざめてくる。その優雅な伏目、つつましくうつむけたあご、内にゆたかな情感を秘めて、その秘めた情感の重さをじっと耐えているような、しずけさがある。固定してしまった美ではなく、しずかにゆれ、流れる心情的な美しさだ。
 天女にしては、装飾的な天衣や瓔珞(ようらく)など、ほとんどなきにひとしい。それがいかにもよく似合う。このお顔は、装飾不必要である。いっさいの外の飾りをなくしたとき、いっそうその、陰影深い艶がひきたつ。(中略)
 ところが、この間、新しく備えられた水銀灯の明りの中で、おどろいた。同じ存在も、ちがった光線をあてると、このように新しい魅力をあらわすものか。悲しみではなく、存在することにつきまとう哀愁を漂わせているお顔が、同時に、明るく華やいでいた。存在自身の華やぎがかげろうていた」(岡部氏記)
 天女ですから、そこに妖艶な美しさがあるのも当然で、普通の仏像とは違った味わいがあるわけです。
 秋篠寺の「尊像略記」の中に、伎芸天について、「大自在天の髪際から化生せられた天女で、衆生の吉祥と芸能を主宰し諸技諸芸の祈願」をしたものだと記されています。
 本堂には本尊の薬師如来像をはじめとして、その脇侍の日光菩薩像、月光菩薩像、愛染明王像、帝釈天像、不動明王像、十二神将像、五大力菩薩像などが安置されており、いずれも身近に接することができ、心が洗われ、満たされた気分になりました。学生時代から京都や奈良の仏像を見るのが好きでしたが、この本や「仏像の 心とかたち」(NHKブックス)、「羅漢」(講談社現代新書)、「仏教の思想」(角川書店)など梅原猛氏の一連の著作(共著もあります)の影響が少なくありません。
 

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