旅行記91  姫路・赤穂旅行5 「忠臣蔵」2 浅野家の菩提寺の花岳寺と泉岳寺 上杉家の追手を待つ

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 写真は赤穂の花岳寺にある二代目大石なごりの松を12日に撮ったものです。
 赤穂めぐりは、息継ぎ井戸を見た後、花岳寺通り商店街を通って、そこから数分の距離にある、浅野家の菩提寺である花岳寺を訪ねました。山門は赤穂城の門だと云われています。境内には上記の写真の二代目の大石なごりの松が建っていました。初代の大石なごりの松の切株は別のところに置かれていました。内蔵助が赤穂城を明け渡す際、この松に別れを告げたと云われています。
 本堂の横に、義士宝物館や義士の墓に入る入口もありましたが、残念ながら中を拝観している時間はありませんでした。この後、昼食を取る店の予約をしていた関係で。その店はそばの店で、「かき蕎麦」を売りにしていました。ここで自分は、かき天ぷら蕎麦を食べました。
 赤穂の浅野家の菩提寺は花岳寺、江戸の浅野家の菩提寺は泉岳寺であり、泉岳寺は「忠臣蔵」で特に有名で、必ず出て来ます。切腹させられた内匠頭が葬られたのは、泉岳寺であり、討ち入りを果たした義士たちが、吉良の首を亡き主君の墓前に供えたのも泉岳寺でした。
 山本博文氏の「これが本当の『忠臣蔵』」(小学館101新書)には、「赤穂浪人たちは、午前4時過ぎに討ち入りに出発し、午前5時半頃に回向院に向かっ」たが、「回向院は、いざこざに巻き込まれのが嫌だったのだろう。彼らを受け入れてくれなかった」ので、「両国橋東詰で上杉家の追手をしばらく待った。これは、歩いているところを攻撃されたらひとたまりもないので、少し休んで態勢を立て直そうとしたものと思われる」と記されています。
 「回向院」は吉良邸の近くですが、今まで「忠臣蔵」の映画やドラマで回向院のことや追手のことを心配していたということは出てきていなかったのではないでしょうか。見逃しているドラマもあるかもしれませんが、泉岳寺までの行進は、沿道でみんなの祝福を受けて晴れがましい姿として描かれてきたように思えます。
 さらに山本氏の同書には、「ひと休みしたあと、鉄砲洲の旧赤穂藩上屋敷前を通り、泉岳寺に向か」い、「吉良邸から泉岳寺までは、3時間ほどかかっている」と記されています。
 上杉家からの追手は結局来ませんでしたが、山本氏の同書には、このことに関して、野口武彦氏の見解が紹介されています。
 すなわち、上杉家は「討ち入りが大人数で行なわれたと誤解したため、外桜田の上屋敷の人数だけでは足りないと考え、麻布の中屋敷から人を呼んで駆け付けようとしているうちに無駄に時間がたってしまい、結局、人数が出せなかったのだ」と。
 

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