旅行記92  姫路・赤穂旅行6 「忠臣蔵」3 赤穂城跡1 大手隅櫓・大手門 刃傷事件の原因

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 写真は赤穂城跡の大手隅櫓を12日に撮ったものです。奥に見えているのが大手門であり、それに架かる橋です。
 赤穂めぐりは、昼食後に、赤穂城跡に行きました。歩いて10分足らずでたどり着きました。大手門のところで、義士の姿をしたポランティアの人々にわれわれ一行の全体写真を撮ってもらいました。櫓や門は再現されたものですが、「忠臣蔵」の場面が自然と蘇ってきます。
 早かごの到着の場面(浅野内匠頭の切腹とお家取り潰しの報をもたらしたのは、第二の使者の原惣右衛門と大石瀬左衛門であり、第一の使者より16時間ほど遅れてのことですが、これも驚異的な早さでした)、城を明け渡すか籠城するか切腹するか赤穂城で議論を続ける場面(大石は籠城を断念して大手門で切腹することを決めますが、浅野内匠頭の弟の大学によるお家再興を願って城を明け渡すことを決定します)、大石内蔵助が城を明け渡して門の外から城を振り返る場面など。
  浅野内匠頭が吉良上野介に刃傷に及んだ原因は、本当のところ、よく分かっていませんが、山本博文氏の「これが本当の『忠臣蔵』」(小学館101新書)には、「堀部弥兵衛金丸私記」に「殿中において、諸人の前で、武士道が立たないようなひどい悪口を言った」と記されており、山本氏は「事件直後のものであるから信憑性がある」と指摘されています。
 吉良の評判の悪さについては、山本氏の同書には、尾張藩士の朝日重章(あさひしげあき)の日記の記述と、秋田藩家老の岡本元朝(もととも)の日記の記述が取り上げられています。前者は、「上野介は欲が深く、諸大名は賄賂を贈って、いろいろ教えてもらっていた。赤穂藩の江戸家老は、主君(内匠頭)へ賄賂を贈るよう進言したが、内匠頭は」「贈らせなかった」ところ、「上野介は、必要な知らせなどもしなくなり、内匠頭は失敗することが多くなり」、「上野介は老中の前で」、内匠頭のことを批判し、「同席していた内匠頭は逆上して席を立ち、その直後、松之大廊下で刃傷に及んだ」などと記されています。
 後者は、「上野介はふだんから『横柄人』として有名で、大名屋敷を訪れると、饗応の場に飾られた掛け軸や茶器などを所望して手に入れる悪い癖があるという評判があったなどと記されています。
 忠臣蔵」では、吉良は悪役として描かれていますが、こういう記述などに基づいている気がします。
 一方、内匠頭の評判がよくなかったという史料として、「忠臣蔵」の10年余り前の段階における幕府の隠密の調査に基づいた史料が取り上げられ、「内匠頭はその経済力にものをいわせ、女色漁りをしていたらしい」と指摘されています。浅野藩は「新田開発や塩田など」で「とても裕福だった」ことも記されています。
 「忠臣蔵」では内匠頭は善人として描かれていることが専らですが、必ずしもそうではないことがわかりますし、史実とドラマの違いといったものを感じさせます。

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