美術探訪6 「海北友松展」8 「建仁寺大方丈障壁画」3「変わりゆく画風」1 友を失った影響
「海北友松展」は昨日で終わりましたが、しばらくその報告は続けます。「第四章 友松の晴れ舞台ー建仁寺大方丈障壁画」には、[竹林七賢図」が展示されていました。
「竹林七賢図」とは、「中国・三国時代の末期、竹林に入って清談に耽った七人の賢者たちの姿があらわされている」と図録には解説されています。竹林の七賢については、高校の世界史でも漢文の授業でも出て来ます。
嵯峨美大で行なわれた講演会「海北友松の絵画を解析する」では、 「竹林七賢図」は、一筆描きのようで力強い描き方がされており、これは中国の影響を受けた、省略が多い「減筆法」によるものだと佐々木正子氏によって説明されていました。
描かれている人物の姿が大きいということは、実際の絵を見て初めてわかりましたが、「彼らの身の丈は最大のもので1・3メートルを超えるが、このスケールは数ある桃山時代の人物図の中でも群を抜いて大きい」と図録で指摘されています。
また図録には「筆遣いはより強靭かつスピーディーなものとなり、衣の膨らみ具合も増している。おそらく長大な画面と、人物それ自体の大きさに負けないための方策だったのであろう。その結果、どの友松画の人物よりも堂々たる風格を備えることになった」と記されています。
この障壁図は、大方丈の16面を飾っており、壮大なものです。衣が膨らんでいる人物を展覧会では「袋人物」と説明されていましたが、確かに恰幅があり、賢人らしい雰囲気が漂っていました。
友松が建仁寺大方丈障壁画」を描いた翌年に関ヶ原の戦いが起こり、友松と親しかった三成や安国寺恵瓊が処刑されてしまうのですが、第五章以後の展示は、それ以降の友松の作品が展示されていました。
第五章の題が「友松人気の高まりー変わりゆく画風ー」とあるように、関ヶ原の戦いの後、友松の画風も変わっていったわけですが、その変化のもとには三成らの友を失ったことが大きく影響しているのではないでしょうか。
慶長7年には、鹿野城主・亀井玆矩(これのり)のために「飲中八仙図屏風」を描きますが、この図屏風についても講演会で、杜甫の詩「飲中八仙歌」を絵画化したもので、李白など八人の酒豪が描かれているものの、杜甫の詩の内容に即さず、自由に描かれ、スピード感にあふれていると述べられていました。
この図屏風について、図録の解説では次のようなことが記されています(抜粋)。
「本図では右隻が失われているため、四人が老梅の下で美少年を侍らせ、酒を飲む様子があらわされている」、竹林七賢図で「見られた凄まじい筆勢や墨気(墨の気迫)は後退するとともに、梅や岩などの表現には簡潔化の兆しも認められる。一方、諸人物の面貌は磊落さが増しており、衣文線も気負いなくあらわされており好ましい」と。酒豪たちのさまざまな姿が生き生きと描かれており、まるで動いているような感じがします。
「竹林七賢図」とは、「中国・三国時代の末期、竹林に入って清談に耽った七人の賢者たちの姿があらわされている」と図録には解説されています。竹林の七賢については、高校の世界史でも漢文の授業でも出て来ます。
嵯峨美大で行なわれた講演会「海北友松の絵画を解析する」では、 「竹林七賢図」は、一筆描きのようで力強い描き方がされており、これは中国の影響を受けた、省略が多い「減筆法」によるものだと佐々木正子氏によって説明されていました。
描かれている人物の姿が大きいということは、実際の絵を見て初めてわかりましたが、「彼らの身の丈は最大のもので1・3メートルを超えるが、このスケールは数ある桃山時代の人物図の中でも群を抜いて大きい」と図録で指摘されています。
また図録には「筆遣いはより強靭かつスピーディーなものとなり、衣の膨らみ具合も増している。おそらく長大な画面と、人物それ自体の大きさに負けないための方策だったのであろう。その結果、どの友松画の人物よりも堂々たる風格を備えることになった」と記されています。
この障壁図は、大方丈の16面を飾っており、壮大なものです。衣が膨らんでいる人物を展覧会では「袋人物」と説明されていましたが、確かに恰幅があり、賢人らしい雰囲気が漂っていました。
友松が建仁寺大方丈障壁画」を描いた翌年に関ヶ原の戦いが起こり、友松と親しかった三成や安国寺恵瓊が処刑されてしまうのですが、第五章以後の展示は、それ以降の友松の作品が展示されていました。
第五章の題が「友松人気の高まりー変わりゆく画風ー」とあるように、関ヶ原の戦いの後、友松の画風も変わっていったわけですが、その変化のもとには三成らの友を失ったことが大きく影響しているのではないでしょうか。
慶長7年には、鹿野城主・亀井玆矩(これのり)のために「飲中八仙図屏風」を描きますが、この図屏風についても講演会で、杜甫の詩「飲中八仙歌」を絵画化したもので、李白など八人の酒豪が描かれているものの、杜甫の詩の内容に即さず、自由に描かれ、スピード感にあふれていると述べられていました。
この図屏風について、図録の解説では次のようなことが記されています(抜粋)。
「本図では右隻が失われているため、四人が老梅の下で美少年を侍らせ、酒を飲む様子があらわされている」、竹林七賢図で「見られた凄まじい筆勢や墨気(墨の気迫)は後退するとともに、梅や岩などの表現には簡潔化の兆しも認められる。一方、諸人物の面貌は磊落さが増しており、衣文線も気負いなくあらわされており好ましい」と。酒豪たちのさまざまな姿が生き生きと描かれており、まるで動いているような感じがします。
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