石田三成の実像2169 映画「利休にたずねよ」 利休切腹事件画策という冤罪

 映画「利休にたずねよ」のテレビ放送を見ましたが、本物の高価な茶道具、長次郎作の「黒楽茶碗 万代屋黒」、同じく長次郎作の「赤楽茶碗 小手巻」、「井戸茶碗 春日」、「熊川茶碗 山路」などが使われていて見ごたえがありました。映画は原作に添う形で、利休切腹の日から、いろいろな年月の出来事を順番をばらばらにして遡り、利休の人生が浮き彫りになるという展開になっていました。若き日の高麗の女性との悲恋がメインになっているものの、それが最後の方になって明らかになるというのも、大体、原作通りでした。
 もっとも、三成が利休切腹事件に関わっていたという捉え方も原作通りで、その点は大いに失望しました。映画では、三成は利休が力を持つ前に排除しなければいけないとかねてより秀吉に進言し、そのために、大徳寺の山門に置かれた木像を問題視し、利休切腹を目論んだという描き方がされていました。こういう捉え方は江戸時代に三成奸臣説が形成されて、まことしやかに言われるようになったもので、それが現代も続いていると云えます。
 その捉え方がおかしいという根拠の一つとして、利休と三成の関係が悪くなかったということがあります。拙ブログでも取り上げましたが、利休が、土地の件で三成に世話になったことを感謝する、年号欠の10月20日付の三成に宛てた書状が残っていますし、利休の最後の茶会のことを記した「利休百会記」に、天正11月12日、三成も茶会に呼ばれています。その時に一緒に招待されているのが、利休と同じ堺の茶人で、利休の娘婿だった万代屋宗安で、宗安と三成は近しい関係でした。映画では、秀吉が利休の娘を側室に求めたという描き方がされており、それは今東光氏の小説「お吟さま」を初めとして、本当だと信じられているきらいがありますが、それに該当する利休の娘が特定されていません。一説には、宗安の妻だった女性であり、彼女が後家になった時に秀吉が見初めたということが云われていますが、その時には宗安は存命していました。
 映画では、三成が大徳寺の僧である古渓宗陳に木像の件でぞんざいな言い方をしていましたが、木像の件が問題になった時点では、三成は一揆鎮圧のため東国にいて京にはまだ戻っていませんでした。三成の居所を詳しく見ていけば、三成陰謀説は成り立たないはずですが、今まで、三成の陰謀だと描いてきた小説家や脚本家の多くはそういう点を全く考慮していません。
 さらに、三成と大徳寺の特別な関係も、三成陰謀説は全く度外視しています。三成の参禅の師は大徳寺の春屋宗園であり、利休切腹事件の後も、三成と大徳寺の関係は悪くなっていません。三成は宗園を塔所として、大徳寺塔頭の三玄院を建立していますし、母の葬儀も三玄院で行なっています。関ヶ原の戦いの後に処刑された三成の遺骸を引き取って三玄院に手厚く葬ったのも、宗園ら大徳寺の僧たちによってでした。
 

この記事へのコメント

2018年01月30日 21:55
利休は何かとミステリアスですね…高麗美女ですか…興味深々!
ところで三成公のチョコレートご存知ですか?滋賀の朝宮茶などでできてる
イオンとメリー社のコラボ TUWAMONOシリーズです。これが結構いい出来なのです。私は普段からお取り寄せで朝宮茶をいただいております。。私は少しお茶(表千家)を嗜みますが大徳寺に表千家のおしるしを発見した時は嬉しかったです。
2018年02月02日 21:47
tokebiさん、貴重な情報、ありがとうございます。
 三成公のチョコレート、知りませんでしたが、ネットで見ると、おしゃれで見た目がいいですね。「義の者」というネーミングも、朝宮茶を使っていることも気に入りましたし、「TUWAMONO揃い」もあわせて味わってみたいですね。
 大徳寺では、毎年、利休の命日に、塔頭で交代して茶会を開いているという話を聴きました。

 

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