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zoom RSS 三成の実像2331 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」21 谷徹也氏「総論」21 五奉行制の前提

<<   作成日時 : 2018/07/14 10:26   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、  「豊臣政権における石田三成」の中で、奉行制の発展過程について論じられています。
 すなわち、「これまでは、文禄4年7月の秀次事件がその契機であったと考えられ」、実際、「秀次事件後に奉行自身が政務に関する起請文を提出したり、諸大名からの起請文の宛名になっ」ており、「また、それまで玄以が担っていた京都所司代が、上京担当の増田長盛、下京担当の石田三成、寺社担当の玄以に職務が分割されたのも秀次事件のことであった」と。
 「同事件後に長束・石田・増田・玄以が『四奉行』として機構化された」という跡部信氏の見解について、谷氏は「四名が対応した事例は首都の行政や大名らの役負担などに関するものであり、その活動は秀次事件以前から確認できる」と反論し、「文禄3年頃にはそれぞれの職務に関する担当者が明確化するようになり、これが後の『五奉行』の前提となったといえよう」と指摘されています。
 「シリーズ 石田三成」の巻末に谷氏編の「石田三成発給文書目録稿」が掲載されていることは拙ブログで前述しましたが、文禄3年に発行された三成ら奉行衆連署状を見てみますと、確かに次のようによく出されています。
 5月19日付の増田長盛・長束正家・石田三成連署状。
 7月17日付の前田玄以・長束正家・石田三成・増田長盛連署状。
 8月4日付の長束正家・増田長盛・石田三成・前田玄以連署状。
 8月9日付の前田玄以・長束正家・石田三成・増田長盛連署状。
 9月18日付の長束正家・増田長盛・石田三成・前田玄以連署状。
 12月2日付の長束正家・増田長盛・石田三成・浅野長吉連署状。
 12月6日付の長束正家・増田長盛・石田三成・浅野長吉連署状。
 文禄3年のものと推定される12月28日付の長束正家・増田長盛・石田三成・浅野長吉連署状。
 この他にも、文禄3年のものと推定される、増田長盛・石田三成連署状としては、9月23日付のものが二通、9月24日付のものが二通、10月9日付のものが一通、掲載されています。
 メンバーは微妙に変わっていますが、これが後に五奉行になっていくことがよくわかります。
 この年も三成は多忙を極めています。島津家の取次を務め、継嗣となった忠恒の指南をしていますし、自分自身は行っていませんが、島津領検地、佐竹領検地に家臣を派遣しています。また9月3日には母の葬儀を大徳寺三玄院で執り行っています。これをもってしても、大徳寺と三成の関係は悪くなかったことがわかります。

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