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zoom RSS 三成の実像2342 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」32 谷徹也氏「総論」32 領民宛掟書1

<<   作成日時 : 2018/07/25 10:45   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、「領主・代官としての石田三成」の中で、文禄5年3月1日付で三成が出した掟書について論じられています。
 この掟書について、「給人領(三成家臣領)では十三ヶ条、代官領(三成直轄領)では九ヶ条の村掟が制定され、総計23通の存在が知られている」と記されています。
 その掟書が「詳細な在地法令として高く評価され」ている見解として、「三成が秀吉の統治方法に学んで、年貢収取方法に大きな関心を寄せていたと評価している」との中村直勝氏の見解、「豊臣政権が出してきた民政関係法令の集大成であり、民衆の権利と義務を制度化した善政と賞賛している」との太田浩司氏の見解が挙げられています。
 しかし、谷氏は「三成条々はこの時期の村落統治法としては、中村一氏領国の横田村詮法度と並びたつような、体系といえる」が、「それが必ずしも民衆にとって良いものであったとはいえないのではないか」という見解を示されています。
 その根拠として、中野氏の「領民として認められる権利と、それを表裏をなす義務負担の適正化と明確化を図ったものと評価している通り、権利の保障が年貢や課役納入の反対給付であった」という見解が取り上げられ、「三成の関心は、年貢納所と課役負担に重点が置かれていたと見るべきであり、領民側にはそれらを忌避する動向があった」と谷氏は指摘されています。
 それを示すものとして、「三成は年貢納入を重視して、田畑が荒田にならないよう適切な処置をとることを在国中の家臣・大音新介に命令している」こと、「佐和山城惣構の普請役を課した長浜町の住民が、夫役を拒否して伏見の秀吉へと訴えた際には、三成は立腹して、家臣が長浜町の宿老に弁解していることを勧めている」ことが挙げられています。
 両者とも、拙ブログで紹介した書状に記されているものですが、前者は、慶長3年5月22日付の三成書状(今までは大音新介宛のものだと考えられていましたが、中野氏は確定できないと指摘されています)、後者は年不詳の2月16日付の須藤通光書状です。
 中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)の中で、この掟書について詳しく論じられていますが、谷氏の見解と共通するところも、そうでないところもあり、次のように指摘されています。
 「細かな厳しい基準を作ることは、領民に取ってみれば良いことばかりではないだろう。掟書を読んでも、三成は決して甘いだけの領主ではないことが分かる。ただ一方で三成の原理原則を貫く姿勢が、領民に信頼感を与えたことも間違いない」と。「原理原則を貫く姿勢」という点が、中井氏の見解のキーワードだと思わます。
 

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