関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2343「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」33谷徹也氏「総論」33掟書2

<<   作成日時 : 2018/07/26 19:02   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、「領主・代官としての石田三成」の中で、文禄5年3月1日付で三成が出した掟書について論じられていますが、その続きです。
 この掟書について、次のような点が指摘されています。
 「百姓が直目安によって庭訴訟を行うことを認めながら、『筋なき事』を申し上げた場合は処罰するので、よく調べたうえで訴えるよう命じている。これらの事例からは、三成は百姓からの目安の提出を認めてはいるものの、村側にも三成が定める手順を踏まえることを求める姿勢が窺える。民衆への訴訟の開放は、相応の訴訟能力と年貢皆済を必要条件として保障されたものだったのである」と。
  中井俊一郎氏の「石田三成からの手紙」(サンライズ出版)には、掟書(伊香郡之内東柳野村掟条々)の釈文、現代語訳(一部)が掲載されていますが、「目安」の部分については、次のように訳されています。
 「何事によらず、百姓が迷惑する仕儀があれば、奏者なしに目安をもって直接訴訟するように。ただし筋なき事を言ってきた場合は、究明の上、きつく処置するので、下にてよく詮索してから申しのべるように」と。
 このことについて、中井氏の同書では、次のように解説されています。
 「さらに掟書の内容に対する三成への直訴も認めている。領主への直訴は江戸時代には認められず死罪となる行為であったが、三成は敢えてこれを掟書に含めている。全体に非常に綿密で公平性を意識した規定である」と。
 「さらに」とあるのは、その前に「人夫の懲役、村への労働奉仕要請は、領主の権限の一部であるが、三成はそれが村々に過剰な負荷とならないよう、特に代官の権限を制限している。家臣領向けの掟では規定以上の人夫を徴用した場合は家臣も応じた側も罪に問うとの条文もある」と説明されていることを受けています。
 「民衆への訴訟の開放は、相応の訴訟能力と年貢皆済を必要条件として保障されたものだった」という谷氏の見解は確かにそういう面があったと思いますし、三成が領民に甘いだけの領主でなかったことは明らかですが、三成の「原理原則を貫く姿勢」のゆえだったという中井氏の見解はその通りだと思いますし、これだけの公平な掟書を領民に出したのは当時としては画期的なことだったと云えるでしょう。封建制という時代的な制約があった中で、これだけのものを出したという三成の領主としての手腕は大いに評価すべきではないでしょうか。それが証拠に、中井氏も指摘されているように、三成が出した掟書は、その後も多くの村で廃棄されずに保管されてきましたし、民政の手本と見なされたわけです。

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