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zoom RSS 三成の実像2346 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」36 「総論」36  大音新介

<<   作成日時 : 2018/07/29 10:30   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の、谷氏の「総論 石田三成論」のうち、「領主・代官としての石田三成」の中で、家臣団の活動について述べられていますが、その続きです。
 三成家臣の大音新介(おおとしんすけ)について、「主に佐和山領の内政を担当した近江出身の重臣で、小田原の陣でも三成に近侍し、島津領の検地も担当した」と記されています。
 島津領の検地には、三成自身は行かず、家臣たちを派遣して実施させましたが、大音新介について、安藤英男氏・斎藤司氏の「石田三成家臣団事典」(安藤氏編『石田三成のすべて』【新人物往来社】所載)の中に次のように記されています。
 「文禄3年9月から12月まで、島津領の太閤検地では、三成から総奉行を命ぜられ、黒川右近、高橋新太夫、坂上源之丞、大橋甚右衛門らの奉行を率いて活躍した。慶長3年4月、三成が両筑(筑前・筑後の小早川領)の代官に任ぜられたさい、その経緯を新介に報じている(『宇津木文書』)。その姓からいって、江北は木之本の在、大音の出身であろう」と。
 このうち、慶長3年4月の三成書状については、拙ブログ記事でも取り上げたように、大音新介宛とは確定できないという中野等氏の見解があります。
 島津領検地については、中野氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で次のように記されています。
 「島津領国へ下る石田家中の面々は8月10日までに大坂へ集結する。彼らは検地を担当する国によって、薩摩へ遣わされる衆、大隅に遣わされる衆、日向へ遣わされる衆とに分かたれ、翌11日に大坂を発足する。このうち、大橋甚右衛門尉なる人物が起請文をしたためて九州へ下っており、この大橋が石田家中を束ねる惣奉行と目される。三成の家中は9月に島津領に入り、さっそくに検地が開始される。この間の経緯を伝える『長谷場越前日記』によると、国別で実施される島津領検地は、昼夜兼行で進められたようである。完遂までには翌年の2月までと、半年ちかい時間を要している」と。
 島津領検地が始まったのは文禄3年のことであり、同年10月には、佐竹領の検地も始まっていますが、この場合も三成自身は、現地に行かず、家臣を派遣しています。
 中野氏の見解では大橋が島津領検地の惣奉行と目されていますが、安藤氏の見解では、大音が総奉行だとされているわけで、このあたり、実際はどうだったのか、今後検討すべき課題だと思われます。
 中野氏の同書には、島津領検地の詳細を安宅秀安が、朝鮮半島にいる島津義弘に告げ、その態度は「相変わらず高姿勢であった」ことも記されています。

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