関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2362 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」52 「総論」52 五大老五奉行制4

<<   作成日時 : 2018/08/14 10:25   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」のうち、「合戦における石田三成」の中で、「五大老」「五奉行」についての考察がされていますが、その続きです。
 谷氏の同書では、「五奉行」の政務実態について次のように指摘されています。
 「『五奉行』の活動は多岐に亘り、D朝鮮撤兵、E知行宛行、F朝鮮との交渉、G蔵入地管理・算用、H訴訟対応、I治安維持、J普請・作事などを担当していた」と。
 そして、これまで言及されていない、三成が奉行職にあった事例がいくつか挙げられています。
 「Eについては、慶長4年2月に小早川秀秋の再封に伴って、越前の乙部掃部に知行目録を発給している。Gについては、同3年8月に石川光吉に対して、美濃武儀郡の蔵入地を岐阜の織田秀信に引き渡すように命じた。これは、Eとも関わる働きであろう。翌月には伏見城の普請を担当していた福島正則に対して、扶持方として米と大豆を正則の預かる蔵米の内から控除することを伝え、同4年3月にも大坂城普請を担当する徳永寿昌・昌重に対して、同様の指示を出している。これらはJと関連する」と。
 このうち、乙部宛てのものは、慶長4年2月5日付の長束正家・石田三成・増田長盛・浅野長政・前田玄以連署状、石川宛てのものは慶長3年8月19日付の前田玄以・長束正家・石田三成・増田長盛・浅野長政連署状、福島宛てのものは、慶長3年9月5日付の長束正家・石田三成・増田長盛・浅野長政・前田玄以連署状、徳永宛てのものは慶長4年3月11日付の長束正家・石田三成・増田長盛・浅野長政・前田玄以連署状で、いずれも谷氏編の「石田三成発給文書目録稿」に掲載されています。いずれも五奉行揃っての連署状であり、五奉行制が機能していた時期のものということになります。
 I治安維持については、谷氏の同書では、「慶長3年9月4日の夜に起きた、伏見狼谷(大亀谷)の法体寺で坊主が殺され、雑物が奪われた事件への対処が挙げられ」、「三成らは、犯人を密告した者は同類であっても罪を免除し、褒美として金十枚を与える旨を諸大名に伝え、家中の五人組などに犯人がいないか調査するよう命じている」と記されています。これは、【註】によれば、同年9月28日付の五奉行連署状であり、この連署状も谷氏編の「石田三成発給文書目録稿」に掲載されています。
 秀吉が亡くなったのは8月18日ですから、石川宛ての五奉行連署状はその翌日に出されたもので、福島宛てのものは半月程経った時点のものです。ちなみに、石川光吉は貞清とも云い、大谷吉継の妹を妻としており、関ヶ原の戦いの時は、犬山城主であり、三成方に属しています。 

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