関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2364 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」54 「総論」54 五奉行の式日の参会

<<   作成日時 : 2018/08/16 10:59   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」のうち、「合戦における石田三成」の中で、「五大老」「五奉行」についての考察がされていますが、その続きです。
 谷氏の同書では、「五奉行」の「式日の参会」について次のように記されています。
 「『五奉行』らは『式日の参会』という定期的な寄合の場を設けていた。少なくとも慶長4年6月から10月にかけては一・六のつく日に公事(訴訟)や算用を処理していたことが確認できる。ただし、彼らは交代で城番も行っており、政務との兼ね合いが懸案事項であった。
 秀吉の遺言では、五奉行は交代で伏見城と大坂城の城番(留守居番)を行うことが定められていた」と。
 秀吉の遺言は8月5日付の「秀吉遺言覚書」に記されていますが、「秀吉遺言覚書」については、清水亮氏の「秀吉の遺言と『五大老』・『五奉行』」(山本博文氏・堀新氏・曽根勇二氏編『消された秀吉の真実』【柏書房】所載)で論じられおり、次のように現代語訳されています。
 「 覚
 一、内府(徳川家康)
    利家(前田利家)
    輝元(毛利輝元)
    景勝(上杉景勝)
    秀家(宇喜多秀家)
     この五人へ太閤様から仰せ出された通り、太閤様の口頭に従って五大老同士の縁組みのことについては、五大老が互いにお申し合わせになって行なうべきこと。
 一、徳川家康殿は三年御在京なさること。付則。領地でやるべきことが有る時は、徳川秀忠がお下りになること。
 一、五奉行の内、前田玄以と長束正家を一つの番として、残る三人の内一人ずつ伏見城の留守居をすること。
   徳川家康殿が全体の御留守居として責任を持つこと。
 一、大坂城については、右の奉行の内、残る二人ずつ留守居をすること。
 一、秀頼様が大坂城に御入城なさったあとは、諸侍の妻子を大坂へ移すこと」
 「遺言覚書」によれば、確かに、五奉行は交代で城番を義務付けられています。

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