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zoom RSS 三成の実像2374 「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」64 「総論」64 東国之儀と会津征討

<<   作成日時 : 2018/08/26 11:18   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」ののことであるた・うち、「合戦における石田三成」の中で、家康と上杉家との緊張状態を示す「東国之儀」と、軍事行動を指す「会津征討」とが分けて述べられています。
 すなわち、「『東国之儀』は慶長4年末頃より取沙汰されたようで、翌年5月の時点では和談と伝えられたが、会津へ下った家臣の伊奈昭綱からの報告を受けた家康の『御機嫌悪』、出陣と決定した。淀殿と北政所は出兵を思い止めさせようとしたが、6月16日に家康は大坂から出馬する。この際、三成の子息である隼人(重家)も出陣するはずであったが、『佐和山騒申』という事態が生じ、三成が佐和山から出るようにとの家康の指示が出された。その後、家康は道中での滞在のために佐和山城を借りようとしたが、『一切手切』として三成は佐和山に引き籠り、普請をしている。ただし、福島正則も同様の姿勢を見せているため、この時点で家康への抗戦を試みたわけではなく、出陣反対の意思表明といえよう」と。
 この記述の中で、まず家康の許に届いたとされる直江兼続書状、いわゆる直江状についての言及がありませんが、直江状には原本がなく、多数の写しが存在しているだけだということ、研究者の間で偽文書説があるということが反映されているのかもしれません。それに対して、実際に直江状は存在するという見解が桐野作人氏らによって示されています。桐野氏は信用できる史料だとする根拠として、次の二点挙げられています(「検証・『直江状』の真偽 名門上杉氏の意気を示した本物」『新・歴史群像シリーズ 直江兼続』【学研】所載)。
 一つは5月7日付の三奉行・三中老連署状の中の、「今度直江所行相届かざる儀、御立腹御尤もに存じ候」という記述であり、「『直江所行』が何なのか具体的に書かれていないが、家康が『御立腹』しているというのだから、これが直江状のことを指しているといえよう」と指摘されています。
 もう一つ上杉景勝が重臣たちに宛てた6月10日付の書状の趣旨が直江状の趣旨と酷似しているという点が挙げられ、その内容比較から、兼続は「景勝の心中を慮って、直江状を認めたと考えてよいのではないか」と指摘ています。
 家康の会津攻めに対して、三成が佐和山を貸すのを断り、出陣反対の意思表明をしたということは今まで知らなかったのですが、谷氏の同書の【註】には、6月10日付の来次氏秀書状などが挙げられており、そこに記されているのではないかと思われますが、三成の動向として重要な点なので、このあたりは自分でも改めて確かめてみたいと思います。

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