関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2376「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」66「総論」66 三成の挙兵をめぐって

<<   作成日時 : 2018/08/28 10:39   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」のうち、「合戦における石田三成」の中で、「三成の挙兵自体が大谷吉継や安国寺恵瓊の説得によるものとする高橋陽介氏の推測が提起されている」ということが記されています。このことは高橋氏の「一次史料にみる関ヶ原の戦い(改訂版)」(星雲社)に述べられていることが、谷氏の同書の【註】に記されていますが、テレビ番組「諸説あり」でも取り上げられ、このことも拙ブログで以前取り上げました。すなわち、挙兵の意思を表明したのは、通説と違って吉継の方であり、勝ち目がないから止めるように説得したのも三成だったということを、高橋氏が述べられていました。
 さて、谷氏の同書では、増田長盛が三成・吉継の挙兵を家康に報じた書状について、次のように記されています。
 「7月12日、増田長盛は家康家臣の永井直勝に対して書状を送る。その内容は、樽井で大谷吉継が病気となり、2日ほど留まっていること、三成の出陣に関して不穏な動きがあることが大坂で噂となっているというものであった。この書状は@三成らと既に共謀しており、家康を欺くもの、A三成らとは共謀なされているものの、家康にも通じて密告したもの、B三成らとは共謀がなされておらず、家康に不審な動向を報告したもの、という三つの捉え方ができよう」と。
 この書状について、谷氏の同書の【註】には、「白峰氏は同書状の信憑性を疑問視している(中略)。傾聴すべき見解だが、非常時であることを考慮すれば、文言などにさほど違和感はないため、本稿では当該史料を用いることとしたい」と記されています。
 この書状に関する白峰氏の見解は、以前拙ブログでも記しましたが、「豊臣公儀としての石田・毛利連合政権」(別府大学史学研究会『史学論叢』第46号所載)の中で、次のように指摘されています。
 「@原文書がなく写の文書しか伝存しない、A内容的に文書が短すぎる、B反家康として活発に動いていた安国寺恵瓊の動きについて全く触れていない、などの点から偽文書の可能性も視野に入れて検討すべきであると考えられる。よって、この書状(写)をもって、増田長盛が家康方へ内通していたとするのは慎重を期すべきであろう」と。この書状が偽書かどうかは、今後の研究に俟ちたいと思いますが、増田長盛の動向を知る上で、そのことが重大な意味を持っていることは明らかです。
 谷氏の同書には、同日付の毛利輝元宛ての玄以・増田・長束の三奉行連署状について、「C三成らの動向を受けて、事前の協議通りに対家康のための上坂を依頼したもの、D三成らの不審な動向による混乱を治めるための上坂要請、という二つの考え方がありうる」ものの、7月15日付の島津義弘書状の内容から、「Cと解釈するのが妥当である」と指摘されています。

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