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zoom RSS 三成の実像2391「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」81「総論」81 使僧の活用4 寺内織部4

<<   作成日時 : 2018/09/12 10:42   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「豊臣政権の三成」の中で、「使僧の活用」と題して、その実態が考察され、天正17年に三成が芦名氏と音信を行う中で、交渉を担当した寺内織部という人物についての履歴が述べられていますが、その続きです。
 「織部は天正18年の小田原攻めに従軍し、三成と岩城氏との音信に関与、11月には奥州の岩城領に派遣され、検地を監督した。また、朝鮮出兵に際しても三成に従い、文禄2年正月には漢城から名護屋への使者として派遣されている」と記されています。
 小田原攻めに従軍したものを示すものとして、谷氏の同書の【註】には天正18年5月16日付の三成書状が挙げられていますが、この書状は中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で取り上げられています。岩城常隆に宛てたもので、その書状の中に次のような記述があります。
 「また、寺内織部祐(佑)が話をしますので、委しいことは述べません」と。
 織部が岩城領の検地を監督したことを示すものとして、谷氏の同書の【註】には天正18年11月15日付の岩城貞隆書状が挙げられていますが、岩城領の検地に関して、中野氏の同書では、同年10月5日付の三成書状が取り上げられ、次のように解説されています。
 「ここで三成が言及する『改』とは、岩城領の検地をいう。岩城に入る岡本顕逸の経済基盤は、佐竹領内にある岡本家の給知のみでは不充分と思量されるので、岩城領の検地領検地の結果として期待される『出来』の一部を、それにも充当するように指示している。このように、三成は岩城領における当面の課題に方向性を示すが、具体的には岩城家を親佐竹色の強いものに再編することを意味している」と。
 こういうことからしても、織部が岩城領の検地を監督しているのは、それだけ三成に重用されている証だと思われます。岡本は岩城家の家臣であり、8月16日付で岡本らに宛てて「覚」が増田長盛と三成の連署で発せられています。
 織部が漢城から名護屋への使者として派遣されたことを示すものとして、谷氏の同書の【註】には文禄2年正月10日付の増田長盛・大谷吉継・石田三成・加藤光泰・前野長泰連署状写が挙げられています。中野氏の同書には、その翌日の文禄2年正月11日付の増田長盛・大谷吉継・石田三成・加藤光泰・前野長泰連署状が取り上げられていますが、その書状の中に、「この使者は昨日出発していたが、先手の小西方より注進があり、また黒田長政(甲斐守)や小早川隆景のところからも注進がありましたので、重ねて連絡したします」と記されていますが、「この使者」が織部と思われます。

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