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zoom RSS 三成の実像2397  谷徹也氏の講演「石田三成の虚像と実像」4 母・瑞岳院の人物像・葬儀

<<   作成日時 : 2018/09/18 01:19   >>

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 8月11日に米原市の大原観音寺で行われた、谷徹也氏の講演「石田三成の虚像と実像」の「第一章 三成の一族」の中で、三成の母の瑞岳院については、次のように述べられていました。
 「三成・正澄らがその死を悼み、盛大な葬儀・法事をし」、「とても慕われていた」のではないかと。
 瑞岳院が亡くなったのは、文禄3年9月3日、葬儀が大徳寺の三玄院で行われたのは、同年10月22日だと谷氏の同書に記されています。命日については、白川亨氏の「石田三成の生涯」(新人物往来社)にも中野等氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)にも9月3日と記されていますが、谷氏の同書には、墓碑にそういう記載があることが記されています。瑞岳院の墓石については、オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)で取り上げられ、写真も掲載されています。
 葬儀の日に関して、谷氏の同書には、その根拠として春屋宗園が記した「大宝円鑑国師一黙稿」の香語が挙げられています。また谷氏の同書には、妙心寺の寿聖院建立は瑞岳院の死と関連しているものと見ているという中野氏の見解も取り上げられています。、
 このことは、中野氏の同書の中で、次のように記されています。
 「寿聖院は、三成が父正継のため、伯蒲恵稜を請じて建立するもので、その落成は慶長4年(1599)のこととなるが、このころから妙心寺内で営みはじめられたのであろう。母の死をうけて、父のための塔頭建立を期するあたり、三成の篤い孝心をうかがえるエピソードである」と。
 石田多加幸氏の「石田三成写真集」(新人物往来社)に、瑞岳院の画像の写真が掲載されていますが、画讃は春屋宗園が文禄3年10月上旬に墨書したもので、「ぎりぎりのところを悟り、くどくどと小さいことを笑殺できる尼僧のような迷いのない人」と書かれていることが記されています。
 石田氏の同写真集には、三成が母の菩提を弔うために木食上人を通じて高野山に寄進した、一切経を奉納した経蔵の写真が掲載されています。この経蔵は文禄5年1月に焼失しましたが、三成は再建して、今度は高麗版の一切経を納めたことも記されています。
 三成は、慶長4年、佐和山に隠居した時、佐和山にやはり母の菩提を弔う瑞岳寺を建立していますが、いかに母のことを慕っていたかがうかがえます。
 谷氏の講演会では、戦国時代の女性については、史料が残らずわからないことが多いのに対して、瑞岳院についてはある程度の史料が残っているのは珍しいことだと述べられていました。
 

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