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zoom RSS 三成の実像2398  谷徹也氏の講演「石田三成の虚像と実像」5 茶・鷹はキーワード 政権の中枢

<<   作成日時 : 2018/09/19 00:06   >>

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 8月11日に米原市の大原観音寺で行われた、谷徹也氏の講演「石田三成の虚像と実像」の「第一章 三成の一族」の中で、「家族も政務などを補い合って三成をサポートしていた」と結論付けられていました。
 三成が佐和山に隠居する時も、兄の正澄が豊臣政権にとどまっていたからこそ、後事を託すことができたと思われます。自分の嫡子の重家のことも正澄に頼んだに違いありません。
 谷氏の講演では、さらに「三成が鷹狩り途中の秀吉に茶を献じたことをきっかけに、仕官したとする、いわゆる『三献茶』」のエピソードについて、「史実として確定することは難しいが、茶・鷹は秀吉と三成に共通する重要なキーワード」だと指摘されていました。
 秀吉が大原観音寺に立ち寄ったことを示す史料として、天正4年(1576)、秀吉が観音寺に茶屋を作るよう命じたことが挙げられていました。また元亀元年(1570)、秀吉は浅井氏攻めのために横山城に配置されており、土地勘もあったと説明されていました。当時の武将は嗜みや心のよりどころとして、茶や鷹を愛好しており、秀吉もその一人であったこと、三成自身も多忙の間をぬって、茶会や鷹狩を積極的に行ったことも述べられていました。このことは谷氏の同書で詳述されていますし、拙ブログでも取り上げました。
 「第二章 豊臣政権における三成」においては、三成の名前について「三也」から「三成」への改名、天正13年に従五位下、治部少輔(藤原姓)になったこと、花押を二度変えたこと、上杉景勝・佐竹義宣・島津義弘らの大名との交渉に当たったこと、裁判や財政・検地など幅広く奉行として活躍したことなどが述べられていましたが、これらも谷氏の同書で詳述されていますし、これも拙ブログで取り上げました。交渉の担当になった大名としては、谷氏の同書では相良氏も挙げられていますし、「それらの大名に対して、米銭の融資をしていたこと」も述べられています。その例として、「佐竹氏は天正20年、三成から借金の催促があったためにそれを完済している」こと、佐竹氏は「翌年の名護屋在陣中にも三成や前田利家から借米した」こと、「上杉氏も名護屋で五百石を借り受け、翌年に返済している」ことが挙げられています。
 それだけ、各大名は豊臣大名化をはかるためや名護屋での経費のために、多額の金銭を工面する必要があったのでしょう。朝鮮出兵がいかに諸大名に負担をかけていたかがうかがえます。
 講演では、これらのことから三成が「若くして豊臣政権の中枢に加わることになる」と説明され、そのことを示す、谷氏の同書にも記されている「出頭第一之仁」という義演の言葉、「御奉行其随一」という木食上人の言葉が取り上げられていました。
 

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