関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2403 番組「英雄たちの選択 島左近」1 夜襲か関ヶ原転進かという無理な選択

<<   作成日時 : 2018/09/24 10:55   >>

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 BSの番組「英雄たちの選択 三成の軍師・島左近奮戦す」で、関ヶ原の戦いの前夜、左近は赤坂にいる家康らに夜襲をかけるべきであったか、関ヶ原方面に転進するべきであったか、出演者にどちらか選択を迫っていましたが、この二択は無理があると思いました。
 そもそも、夜襲を考えようとしていたというのは、江戸時代に書かれた書物に出てくる話であり、一次史料で確かめられたものではありません。この点については、桐野作人氏の「真説 関ヶ原合戦」(学研M文庫)で、この話は創作の疑いが濃いと次のように指摘されていますし、拙ブログでも以前取り上げました。
 すなわち、「夜討ちの一件については、『旧記雑録後編三』所収の諸史料には一切記述がない。管見のかぎりで、島津側の史料では、江戸後期に成立した『西藩野史』の記述が大きな影響を与えたと思う(ほぼ同様の逸話は『東照宮御実記』巻四にもある)」と。
 その話では、島津豊久が三成に夜討ちを進言したものの、左近がこちらの軍勢が多い時に取るべき策ではないと反対し、自分は以前、山県昌景(やまがたまさかげ)に仕えていた時、家康を数回破ったことがあり、家康の武略を恐れないと述べたため、豊久は憤然として席を蹴ったというふうに書かれていますが、その記述についても、次のような見解が示されています。
 「出典を明記することが多い同書がこの件についてはなぜか出典を明らかにしていないし、島左近が山県昌景に仕えたというのはにわかに信じられないから、筆者得能通昭(江戸詰の島津家臣)の創作の疑いが濃厚である」と。
 番組では、島津氏が夜襲を考えていたというふうに述べられていましたが、出典はこの話によるものと思われます。そういう史料としての信憑性を問題にしないで、夜襲案を持ち出すのは歴史番組として避けねばならないのではないでしょうか。
 その番組では、秀吉の死後から関ヶ原の戦いに至る間に、左近が三成に何回か家康を暗殺することを進言したものの、三成は同意しなかったということも述べられていましたが、これも江戸時代に出てくる話で、一次史料には出てきません。それを番組では、本当のことのように扱われ、司会者もなぜ三成は同意しなかったのかと苛立ちめいた発言をしていました。これは左近が勇猛な武将で、三成が官僚的な人物であったことから、生み出された逸話ではないでしょうか。
 もっとも、番組では、最近発見された、嶋左近の自筆書状に着いても触れられていて、官僚的な面もあったことが述べられていました。左近という人物について、もっと研究を続ける必要性があることを実感しました。
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