関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2404 番組「英雄たちの選択 島左近」 2 関ヶ原方面への転進の理由

<<   作成日時 : 2018/09/25 10:35   >>

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 番組「英雄たちの選択 三成の家臣・島左近奮戦す」で、関ヶ原の戦いの際、左近は赤坂にいる家康らに夜襲をかけるべきであったか、関ヶ原方面に転進するべきであったか、出演者にどちらか選択を迫っていましたが、この二択は無理があると昨日の拙ブログで述べましたが、大垣城籠城戦か関ヶ原方面転進かという選択にすべきでなかったかと思っています。
 家康は大垣城を水攻めにすることも考えていましたが、結局、後詰の南宮山攻撃をするつもりだったことが、白峰氏によって指摘されています。しかし、南宮山の吉川広家は攻撃されるのを恐れて、家康との和平を整えますが、これは実質的な屈服だということが、これも白峰氏によって指摘されています。
 この番組のゲストの小和田哲男氏は、関ヶ原転進に賛成されていました。通説では、家康が佐和山を抜いて大坂を攻めるという偽の情報を三成方に流し、三成はそれを真に受けて関ヶ原に移動したということが云われ、そういう側面があたかもしれないが、それよりも、三成方は関ヶ原に土塁を築いたり、すでに大谷吉継が山中に布陣していたりして、三成方は大垣籠城戦と合わせて二段構えにして、関ヶ原で家康方を迎え撃つということをあらかじめ作戦として考えていたと述べられていました。もっとも、家康が偽情報を流して、三成方がそれに乗せられたということについては、小説やドラマでよく出てくるものの、一次史料で確かめられたことではなく、後世になって、家康の活躍を示したいがために作られた創作であったと思われます。 
 もう一人のゲストとして、映画「関ヶ原」を監督した原田眞人氏が出演されていましたが、原田氏は夜襲案に賛成しておられました。小和田氏の意見をうなべう形で、佐和山を攻められないために、関ヶ原ではある程度準備ができており、その上で左近は夜襲案を三成に勧め、三成はこれに賛成したと思われるが、大軍を擁する宇喜多秀家が夜襲では昼間の大会戦のように見せ場がなく反対したのではないかと推測されていましたが、夜襲自体、左近が考えていたという根拠はなく、宇喜多秀家が反対したというのも同様です。
 なお、原田氏は映画「関ヶ原」の主人公を最初は嶋左近を主人公にするつもりだっとおっしゃっていました。筋を通した戦い方をする武将であり、三成を評価するようになったのは五十才過ぎからであり、今は自分と三成との共通項が多いということも述べられていました。
 今一人のゲストの外岡慎一郎氏も、夜襲案に賛成され、杭瀬川の戦いの勝利に乗じてさらに夜襲すれば、家康を討ち取れなかったとしても、大垣城に戻って籠城すればよく、籠城が長期化すればするほど有利になるという鉄則だから、家康と盟約を結んでいた南宮山の吉川広家や松尾山の小早川秀秋も味方したかもしれないと述べられていました。
 夜襲云々は別として、大垣城に籠城しておれば、長期戦になったのは確実だと思われます。大津城攻めの軍勢も到着したでしょうから、状況は大きく変わったかもしれません。
 ただ、三成方としては松尾山に動きの怪しい小早川秀秋に入ったこと、家康が南宮山を攻撃しようとしたことが、関ヶ原方面転進の大きな要因になったと思われます。
  
 
 

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