関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2385「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」75「総論」75 江戸時代の描かれ方3

<<   作成日時 : 2018/09/06 10:41   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「おわり」に、江戸時代以降の三成の語られ方について触れられていますが、それに関して中野等氏の次のような見解が取り上げられています。
 すなわち、「江戸前期には徳川光圀など一部では三成を忠臣とする評価もあったが、軍記類を中心に奸臣として断罪され、中期には立身しつつ転落した人物として描かれるに留まり、後期に入ると、三成への好意的評価も見られるようになる」と。
 徳川光圀の評価というのは、「桃源遺事」に記されていることで、中野氏の「石田三成伝」(吉川弘文館)の中で、該当部分が次のように記されています。
 「また仰ったことには、石田治部少輔三成のことは嫌いではないとのことである。武士たる者(人)はおのおの、それぞれの主君のため、義によって発奮し、事を実行する者は、敵であっても憎む必要はない。君臣共に能く理解すべきである」と。
 この前に真田信繁に対する評価も述べられていますが、これらの点について、中野氏の同書では、次のように解説されています。
 「真田信繁(ここでの実名は信、一般に幸村とされる人物)や石田三成は、憎むべき存在ではなく、その『忠臣』ぶりは賞揚に値するとされる。立場の違いこそあれ、主を想う義心に変わりはないということである。儒学を重んじ、『義公』と諡された光圀ならでは、また、徳川将軍家に連なる水戸家だからこそ許された評価ともいえよう」と。
 また谷氏の同書では、「江戸前期から写本類には三成評価の萌芽が見られるとする」井上泰至氏の見解も「妥当といえよう」と評価されています。
谷氏の同書では、後期については、次のように記されています。
 「寛政期以降、演劇の世界では『絵本大功記』などが流行し、秀吉は『真柴久吉』、三成は『岸田光成』として民衆に受け入れられたことも大きな要因とみられる。また、自らの由緒を形成する際に三成知行宛行状を偽造した百姓も現れた」と。
  真柴久吉、岸田光成のことは、8月11日に米原の大原観音寺で行われた谷氏の講演会「石田三成の虚像と実像」でも触れられていました。天保3年(1832)に興行された歌舞伎「敵討天下茶屋聚」に出てくる人物だと紹介されていました。三成知行宛行状を偽造したことについては、谷氏の同書の【註】に、山本英二氏の「甲斐国『浪人』の意識と行動」(『歴史学研究』)に記載されていることが記されています。

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