関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2387「シリーズ・織豊大名の研究 石田三成」77「総論」77 三成書状の残存状況

<<   作成日時 : 2018/09/08 10:42   >>

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 谷徹也氏編の「シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成」(戎光祥出版)の「総論 石田三成論」の「おわり」に、江戸時代以降現代までの三成の語られ方について触れられていますが、その続きです。
 「近江国内では、三成とゆかりのある史跡が様々な伝承と共に語り継がれた。昭和16年(1941)には出生地の石田において石田三成公事績顕彰会が結成され、碑文の作成などの顕彰活動が行われ、現在まで続いている。近年では、メディアやゲームなどの影響もあり、三成自筆書状の前で涙する女性が現れるまでの人気を得ているという」と。
 谷氏の同書の【註」にその典拠として橋本章氏の「石田三成」(『戦国武将英雄譚の誕生』【岩田書院】所収)が挙げられていますが、私はその書には目を通していません。「歴女」という言葉がはやって久しいですが、その頃から特に若い女性の三成ファンが増えたという実感を持ちますし、確かにゲームの影響も大きなものがあります。11月に長浜市石田町で行われる三成祭の法要に、お参りする若い人が増えたのもこの頃からです。
 谷氏の同書には、三成の文書の残存状況について、次のように述べられています。 
 「一般に、石田三成やその関係者の文書については、徳川家康に楯突いた人々との関与を疑われないために、江戸時代には所持していることが憚られ、抹消や隠蔽が行われており、現存史料が少ないのではないかという印象があるからかもしれない。確かにそういった忖度によって消滅した史料も存在するとは思われる。その一方、多くの三成関係文書が今に伝えられているのも事実である」と。
 三成の文書が抹消されたというのは、関ヶ原関連のものが特にそうではないでしょうか。家康が江戸に留まったまま、諸大名に書状を書き送り、多数派工作したのは有名ですが、三成方も多くの書状を諸大名に送ったはずですが、あまり残っていません。
 とは言え、案外多くの三成関係文書が残っていることについては、谷氏の同書の「石田三成発給文書目録稿」として479通の書状が掲載されていることでもわかります。本当は、三成はこの何倍もの書状を書いたに違いありません。
 谷氏の同書には、真田家に残る三成書状について、次のような原田和彦氏の新たな見解が紹介されています。
 「松代藩真田家では、江戸時代には三成書状や奉行連署状などは門外不出とされて長持の底に秘められており、大正10年(1921)に初めて公開された、と伝承されてきた。しかし、実際には家康書状などと同一の箱に納められて床の間に飾られていたことが明らかにされている」と。 
 三成書状は秘密にされてきたものではなかったというわけです。
 

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