関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2429 布谷陽子氏「関ヶ原合戦の再検討」3 二大老・四奉行が中心

<<   作成日時 : 2018/10/20 10:13   >>

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 布谷陽子氏の「関ヶ原合戦の再検討ー慶長5年7月17日前後ー」(谷徹也氏編『シリーズ・織豊大名の研究7 石田三成』【戎光祥出版】所載)の「はじめに」で、西軍の組織について、「西軍の首謀者は三成とされているが、三成一人で約八万四千人もの軍勢を組織し得たのかという疑問」があり、「西軍の組織、特に挙兵に関わったと考えられる人物を見直すことで、関ヶ原合戦における西軍の形成を考察し直す」のが本稿であり、そのことが具体的に考察されています。
 先に言ってしまえば、「むすびにかえて」で次のように結論づけられています。
 「関ヶ原合戦における西軍の中心人物は石田三成のみとするのではなく、毛利輝元・宇喜多秀家の二大老、前田玄以・増田長盛・長束正家、そして三成の四奉行が中心となって形成され、またその連合は、早くから進行していたものであった。その上、輝元対徳川家康という構図もかねてから存在していたものであり、このことは関ヶ原合戦の勢力形成に関して重大なことだったのである」と。
 こういう見解は、「内府ちかひの条々」が出されてから二大老・四奉行による連合政権が形成され、家康の公儀性は失われたとする白峰旬氏の見解に発展してゆくような気がします。
 布谷氏の同書では、慶長5年7月17日付けで前田玄以・増田長盛・長束正家の名で出された、家康弾劾状である「内府ちかひの条々」、同日付でそれと共に諸大名宛てに出された檄文(例として立花親成宛のものが取り上げられています)、やはり同日付で前田利長に出された毛利輝元・宇喜多秀家連署状が引用され、「この時点ですでに三奉行と二大老の間で役割の分担が見られ」、「これらの書状は、まさに家康を討つべく西軍の意志を表明したものであり、それはまた関ヶ原合戦における西軍の挙兵を意味しよう」と指摘されています。
 もっとも、「西軍の挙兵については、7月11日の石田三成と盟友大谷吉継、そして毛利家の外交を担っていた安国寺恵瓊を加えた三者会談をもって挙兵とする説がある」ことも布谷氏の同書に記されています。
 この説は、今井林太郎氏の「石田三成」(吉川弘文館)に記載があることが、【註】に記されていますが、この説は通説になった感があります。オンライン三成会編「三成伝説」(サンライズ出版)にもそのように記しましたが、一次史料で確かめられていることではなく、今後さらに検討する必要があります。
 ちなみに、三成が挙兵後、大谷吉継と共に諸大名に檄文を飛ばしたことが番組「英雄たちの選択 大谷吉継」で触れられていましたが、実際7月12日付の吉継・三成連署状があるものの、布谷氏の同書で、「偽書の可能性が指摘されている」と記されていますから、この書状は怪しいと云えます。

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