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zoom RSS 三成の実像2436 白峰旬氏「豊臣七将襲撃事件は単なる『訴訟騒動』」3 武力襲撃・武力闘争の記述なし

<<   作成日時 : 2018/10/27 10:50   >>

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 白峰旬氏の「豊臣七将襲撃事件(慶長4年閏3月)は『武装襲撃事件』ではなく単なる『訴訟騒動」であるーフィクションとしての豊臣七将襲撃ー」(別府大学史学研究会『史学論叢』第48号所載)の中で、「言経卿記」「義演准后日記」「舜旧記」「北野社家日記」「三藐院記」「お湯殿の上の日記」「多聞院日記」を精査・検討されていますが、F点目として次のように指摘されています(@〜E点目については昨日付の拙ブログ記事で触れました)。
 「三成と諸大名との間におけるトラブルを示す表1の関係史料での表記は『申合』、『訴訟』であり、武力襲撃、武力闘争を意味しない」と。
 確かに白峰氏の挙げておられる関係史料には、三成が襲撃されたり、武力闘争があったというような記述はありません。「申合」「訴訟」という文言は、関係史料の中で次のように出ています。
 「北野社家日記」閏3月7日条の「大名衆が申し合わせて、石田三成に腹を切らせようとした」という記述(昨日付の拙ブログで取り上げた記述の一部)。
 「義演准后日記」閏3月9日条の「伏見での『申事』はいよいよ別条がない」という記述。
 この場合の「申事」は、白峰氏の作成された表1の【註】に「『訴訟』と同じ意味で使われていると思われる」と指摘されています。
 「舜旧記」閏3月9日条の「石田三成と7名の大名衆が伏見にて『申合』があった」という記述。
 この場合の「申合」は、【註】には「『言い争い。口喧嘩。』という意味にとるべきと思われる」と指摘されています。
 「義演准后日記」閏3月10日条の「石田三成は江州佐和山城へ隠居した。大名10人ということであるが、『申合』をして『訴訟』があった」という記述。
 【註】には、この場合の「申合」は、「『相談をして。とり決める。』という意味である」、「訴訟」とは「要求、不平、願などを人に伝えること。嘆願すること。うったえ。』という意味である」と指摘されています。
 G点目は、「三成と諸大名との間のトラブルは」「北政所が仲裁した」、「家康が解決に関与して三成の佐和山隠居で落着した」と指摘されています。
 このうち、「北政所が仲裁した」というのは、「言経卿記」閏3月8日条に、「伏見での雑説は、北政所の仲裁により『無事』になった」ということを指します。「家康が解決に関与して三成の佐和山隠居で落着した」というのは、「舜旧記」閏3月9日条の上記の記述の続きに、「しかし、家康から『中』に『此事』があった。(この結果)三成は江州佐和山城へ隠居した」こと、「義演准后日記」閏3月10日条の上記の記述の続きに、「(それに対して)家康が『異見』をした」(【註】には、「『異見』とは『思うところを述べて、いさめること。忠告。説教。訓戒。』という意味である」と記されています)ことを指します。

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