関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 三成の実像2454 高橋陽介氏の見解による三成陣跡、宇喜多・小西陣跡探訪

<<   作成日時 : 2018/11/15 20:36   >>

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 岐阜に来ています。土曜日に名古屋大学で「織豊期研究会」のシンポジウムが行われるので、それに参加するべく、一日早く出発し、関ヶ原の山中地区へ再び行ってきました。
 拙ブログでもたびたび述べているように、白峰旬氏は一次史料の検討・分析によって、関ヶ原の戦いの主戦場は関ヶ原ではなく、山中であったと主張されています。高橋陽介氏もそれに同意され、さらに関ヶ原の戦いにおける三成陣跡が、関ヶ原町藤下の自害峰にあったと主張されています。4月に一度その場所を訪ねましたが、その南にあったとされる宇喜多秀家・小西行長陣地跡にまでは足を延ばせず、そこへも早く行きたいとつねづね思っていました。
 今回は名古屋まで行くのを機会に、途中で関ヶ原に寄って、自害峰をはじめ、宇喜多・小西の陣跡へ上り、その後、島津豊久の陣との間にあった低湿地、島津豊久の陣跡付近まで歩き回りました。
 まず、自害峰ですが、前回は弘文天皇御陵候補地の三本杉のところから斜面を上りました。この間の三成祭の時に高橋氏にお会いして、矢尻の池(井)のところから上る道があると教えられ、それを頼りに行きましたが、東側に道があったのに気づかず、西側の道を行ったため、途中で行き止まりになっており、やはり草木が茂っている斜面を少しよじのぼることになりました(帰りは楽な道を見つけましたが、それが東側の道でした)。
 自害峰の上はやはり平坦であり、南側に土塁の跡なども残り、人の手が加えられたものであることがわかります。木々がはえており、足場が悪いところもあり、気をつけて進む必要があります。
 自害峰を南に通り抜けると新幹線の上を渡る橋のところに出てきます。その南側が、高橋氏が主張される宇喜多・小西の陣地跡ですが、草が茂っており、まず新幹線の柵の外沿いに東に進んでみましたが、行き止まりで南側は草ぼうぼうで道らしきものはありません。やむなく引き返して西に進むと、やはり草は生い茂っているものの、細い道らしきものがあり、草をかきわけてゆくと、平坦な場所に出ました。位置的には、丘陵の北西の端から入ったわけで、そこから東に向かって歩いて行きましたが、広大な削平地です。ここも自害峰と同じく、最近はほとんど人が立ち入っていないところだという印象を持ちます。高橋氏の指摘されているように、南側に長い土塁があり、小早川秀秋が陣したとされる松尾山は至近距離です。
 この丘陵の南側は斜面になっていますが、思い切ってすべるように降りてみました。すぐ前に名神高速道路が通っており、その柵のところまで行きましたが、東も西も途中で道が切れており、再び別のところからもとの丘陵に登らざるをえませんでした。
 自害峰もこの丘陵も三成方の陣跡だったとすると、高橋氏の主張されるように松尾山を志向したものだという気がします。もっとも、秀秋が松尾山にいたという通説については、今後検討すべき課題だと思われますが。

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