関ヶ原の残党、石田世一の文学館

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zoom RSS 石田三成の実像2456 楽田城跡・小牧山・羽黒城跡巡り

<<   作成日時 : 2018/11/17 00:07   >>

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 昨日は岐阜から名古屋に行き、名鉄電車でまず、小牧・長久手の戦いで秀吉が本陣を置いた楽田城跡に行きました。楽田駅から歩いて五分程で行けますが、碑が建っているだけで、城跡をうかかわせるものは何もありませんでした。すぐそばが楽田小学校です。
 三成は秀吉に近侍していましたから、この楽田にいたものと思われます。秀吉はここにいて、小牧山に布陣していた家康と対峙しました。
 この後、再び名鉄に乗って、小牧駅で下車し、小牧山に行きました。駅から歩いて十五分余り、さらにそこから山を登って十五分余りで、模擬天守の「小牧市歴史館」にたどり着きます。
 小牧山城は織田信長が初めて本格的に築いた城郭ですが、近年の発掘調査によって、石垣などの遺構が次々と発見されています。また信長は城下町も築き、近世城下町の起源と云われています。「歴史館」では、発掘調査の現地説明会の様子や小牧・長久手の戦いの経緯がビデオで紹介されていましたし、出土品などや「小牧・長久手合戦図」などが展示されていました。また「歴史館」が出来て今年で50年になるのを記念して、小牧市の歩みをたどる企画写真展も展示されていました。
 最上階から廻りの景色を眺めることができましたが、秀吉が小牧山を取り囲むように築いた砦の位置も写真で示され、家康にとっては脅威であったことがうかがえました。むろん、家康も防御のための砦や土塁を何重にも築いていましたが。小牧山城と楽田城の距離は、約4・5キロです。
 帰りは、信長が勧請したといわれる小牧神明社に立ち寄りました。
 また名鉄に乗って、小牧から引き返し、楽田駅の次の羽黒駅で下車し、駅から歩いて十分ほどの距離にある羽黒城跡へ行きました。鬱蒼とした竹林の中にあり、最初は場所を間違えたのではないかと思ったほどでしたが、小高いところに碑が建っていました。土塁の跡なども確認できます。羽黒城はもともと梶原氏の居館でした。羽黒城跡のすぐ北に、宇治川の先陣争いの時、源頼朝の家臣の梶原景季が乗った磨墨(するすみ)を葬ったとされる塚がありました。このあたり「するすみ歴史公園」になっています。
 羽黒の戦いで、家康側の酒井忠次隊が秀吉側の森長可隊を破りました。秀吉は池田恒興が落城させた犬山城に入りますが、次に楽田城まで進んでいます。
 最初は秀吉が入った犬山城まで行く予定でしたが、時間切れでした。三成も秀吉と行動を共にしていたはずですから、犬山城に一緒に入ったのではなかったでしょうか。犬山城は若い時に一度訪ねたことがあります。
 

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