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zoom RSS 三成の実像2457 白峰旬氏の講演「関ヶ原の戦いを再検討する」2 現在の布陣位置の決め方

<<   作成日時 : 2018/11/18 14:42   >>

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 昨年8月20日に、佐賀県立佐賀城本丸歴史館で行われた、歴史企画「関ヶ原の戦いを再検討するー龍造寺・黒田・加藤を中心にー」において白峰旬氏は基調講演「関ヶ原の戦いを再検討する」をされましたが、その内容報告が、別府大学史学研究会『史学叢書』第48号に掲載されました。その内容紹介の続きです。
 現在の関ヶ原合戦の陣地跡の場所について、「神谷道一『関原合戦図誌』(明治25年〔1892〕)を参考に、岐阜県の役人たちが参加して、現地事情を様々に考慮しながら決めた」ものであり、「慶長5年当時の一次史料によるものではなく、その信憑性という点で大いに疑義がある」、「石田三成の笹尾山布陣も明確に否定された」と述べられています。これらは高橋陽介氏の見解であることも明らかにされていますが、この点については、拙ブログでも以前に記しました。
 神谷氏の同書は、「江戸時代の軍記物の記載をベースにして布陣位置を決めた図を掲載している」こと、「広く流布し」、「当時の新聞に多くの書評が載った」こと、「この本は参謀本部編纂『日本戦史・関原役』(明治26年〔1893〕)の前年に刊行された」ことも、白峰氏の講演で述べられています。
 要するに、われわれがよく知っている関ヶ原の戦いの布陣図及び現在の布陣場所とされているところは、一次史料に基づくものではなく、明治時代の神谷氏の同書をもとにしたものであり、歴史的根拠はないことがわかります。
 現在の布陣場所は、私も何回か回りました。レンタサイクルを使ったことも徒歩で歩き回ったこともあります。笹尾山にもよく行っていますし、笹尾山や陣場野で開かれたイベントにもたびたび見に行きました。
 オンライン三成会編の「三成伝説」(サンライズ出版)の「美濃・関ヶ原」の章でも、通説の布陣場所に基づいた「史跡巡りのモデルコース」を紹介し、地図も載せています。
 しかし、白峰氏の見解を知り、一昨年に改めて「決定版 三成伝説」を出した時には、白峰氏の新見解を紹介し、「関ヶ原の戦いの布陣図も歴史的根拠はないこと」も記しました。
 関ヶ原の戦いにおける石田方軍勢の布陣場所に対する新説を高橋陽介氏が示されており、15日にも、三成が陣を置いたとされる自害峰や、その南の宇喜多秀家・小西行長が陣を置いたとされる丘陵をめぐってきました。もっとも、昨日、名古屋大学で行われた「織豊期研究会」主催のシンポジウムの時に、高橋氏にお会いして、自害峰やその南の丘陵は、今と当時とは地形がかなり違っており、明治時代の地図を見たらそれがよくわかると教えていただきました。その地図を見て改めて確認したいと思いました。実際、三成方の布陣した場所については、これからも研究が続けられていくと思いますし、それに従って、地元にも働きかけて今までの理解を改めてもらい関ヶ原の戦いにおける布陣場所をはっきりさせる必要があるのではないでしょうか。
 

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